お寺あれこれ 33

新年明けましておめでとうございます。新年を迎えるために昨年の暮れから大掃除をし、正月の飾り付けなど準備ををして正月を迎えていますが、私の寺では 数件の檀家さんが新年のご挨拶に来られます。一般的に寺は盆に正月は神社にお参りをされているようです。正月のお勤め「修正会」は住職と寺族だけでしていますが、なにか寂しいものです。檀信徒の皆様には1月22日に法然上人の御忌会(法然さま806回の年忌)と別時会を兼ね奉修しますので、ご参加をお待ちしています。さて、新年を迎えることは、それだけ年を取ることですから死に近づことです。何か目出度いのか、なにが目出度くないのか、正月早々難しことを、わざわざ考えたくもないが、やはりこの年になると、縁起でもない、「死」を頭の片隅に感じるわけですが、人生昔は50年、60年であったが、今は80歳を超え、平均年齢が90歳近くまで延び、最期を迎えるまで心身ともに元気にいたいのですが、いままでの不摂生を思うと、わたしには、健康な身体で老後を送れるか心配です。昨年には年金制度法案が可決され、将来年金は減額されるし、また医療費負担は高くなり、介護費用も高額であり老後の生活も大変な時代です。話しはもどりますが、この正月を迎える心を、一休禅師は「元旦や冥途の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし」と歌われています。私たちは元旦の朝には家族揃って、お屠蘇を祝って正月を迎えるわけですが、そのお屠蘇という言葉は、ただお酒を「おとそ」と呼んでいるのではなく、とそのトという字はほうむる、屠すという字なんです。でソという字は蘇生のソ、よみがえるという字です。ですから昨年までの古い悪いすべてのものを殺してしまって、新しく蘇ったきれいな心で、今年も過ごしたい、この日を迎えたという喜びが「とそ」という言葉であります。この屠蘇の心が、私たちの新しく迎えた今年も、無事に一年を過ごしたい、という願いで、「お屠蘇」をいただくわけです。このお屠蘇の言葉から考えると「めでたくもありめでたくもなし」という一休禅師の心がわかるのではないでしょうか、この年になって、一年を無事に過ごし新しい年を迎えることは私たちがもっとも嫌う「死」であり墓に近づくことです。「めでたくもない」ということです。またお屠蘇をいただくことは、すべての悪いものを取り除き、新しい人として生まれ変わった、心も清く美しい気持ちになった時に、「めでたい」という気持ちになります。これがわたしたちが正月に思う「お目出度い」という「こころ」です。年末の大掃除を通して、正月の飾り付けをするのは、私たちの先祖が伝えてくれた温かい気持ちであったように思います。昨年は天災地変の自然災害と凶悪な事件があり、世界では中東諸国やフランスやドイツで無差別テロがあり、多くの一般の人々が犠牲となりましたが、今年は、家族、町、地域、社会、日本、世界の人々が幸せで、平和な社会が来るよう願いたいものです。

 

お寺あれこれ 32

年末あれこれ
この時期になりますと、(13日は事始め。ところによっては8日)正月の準備に入りなにかと気忙しい月になりました。師走とは法師(僧侶)も走り回るほど忙しいという意味です。私たち住職は、人には偉そうなことを言っていますが、用事を後回しにして年末になって「あれこれ」と泡を食って走り回るという僧侶にとって実に耳の痛い話です。またこの月はお歳暮の時期ですが、今では、普段お世話になっているに方々に送り、また頂戴していますが、本来は盆と正月はともに先祖を祀る儀式の日であります。昔は私たち自身が仏壇(祖霊)にお供え物を供え、父母に贈り物をして感謝をしたそうです。現在私たちが中元や歳暮をしているのは、本来の意味や感謝を忘れ、「職場の上司や世話になっている方々」に対して、の贈答になっていますが、本来の意味は、父母や先祖さまに感謝の思いを表したものが「お中元」や「お歳暮」です。今でも地方では大晦日の夜「みたまの飯」をお仏壇に供える習慣が残っています。
餅つきやすす払いも都会ではほとんど見ることができなくなりました。餅つきは、私も子供が喜ぶと思い家族で、子供が成長(高校生)するまでやっていましたが、忙しい時期に後片付が大変なので、今ではしていません。1年の埃を落し、すす払いの代表的な行事では知恩院のお身拭い式が有名ですが、当山では、例年12月中頃に本堂諸堂の年末大掃除を檀信徒総代や婦人会の皆様と共にしています。25日のイエス・キリストの降誕祭であるクリスマスは、宗教的な意味合いは別として、戦後特に盛大なイルミネーションのイベントやケーキ店の商法合戦が行われる国民的行事の一つになりました。世間では、子供たちとともに食事をしてケーキを食べるのも家族の楽しいひと時です。これも日本人独特な「受け入れる」習合してしまう文化かもしれません。このクリスマスが終るといよいよ本堂や諸堂の正月の飾り付けです。門松と注連縄です。門松は先祖の霊が来て駐まるところ憑代として、松など葉があることが大切な条件です。注連縄は門や玄関に飾り付けをしますが、これも清浄な区画を意味し祖霊や神事が行われる地を意味します。仏教で言うところの道場結界です、実は縄は仏教からでたものです。鏡餅も注連縄と同じで霊魂が降りて宿る依代(よりしろ)です。庫裡玄関に年回表をはり、仏さまに花を供え墓や境内を掃除して晦日(30日)と大晦日は忙しいです。昔は宮中では大晦日の日に追儺(ついな)の式が行われていました。鬼やらい、豆まきをして人間の悪い所を追い払って新しい年を迎えました。この行事が現在では節分になりました。例年すべての正月の準備ができたところで、今年最後の本堂でのお勤めをして、隣寺の除夜の鐘を聞きながら、(紅白歌合戦を見て)年越しそばを頂き新年を迎えています。大晦日の除夜については、古来から諸説ありますが、その代表的な書物『日本歳時記』には先祖を祭り、家族が一年中無事にすごせたことに感謝し宴を開いたことが記されています。私は百八煩悩を除く夜であるから除夜と思っていました。また古い年を除く日、除日の夜とも言われています。いづれにしても、一年最後の夜でしめくくりとして、過ぎ去ったこの一年を反省し、なにごともなく一年間、自分を支えてくれた家族、友人知人に感謝し、阿弥陀さまの慈光をいただき、先祖様にも感謝して念佛精進して新しい年を迎えたいと思います。

お寺あれこれ 31

いつもまにか11月もあと1日で終わりでいよいよ12月です。昨日夕方孫が来ました。寺へ来ると庭で思い存分遊んでいます。私も一緒に遊んでいたら、私が庭の剪定用にもっていたはさみを見て、はさみを使ってみたいというので、二人で裏庭にあるミカンの木にミカンがなっているので、みかんを取りました。ところが葉っぱに黒いすす(すす病?)のようなかびがつき、みかんも少し黒いかびがついていたので、取ったみかんを孫と一緒に水で洗っていましたが、孫には絶好の遊び場です。バケツにみかんをなげ入れ柄のついたたわしで混ぜまわし孫のズボンは水でぬれ遊びもここでむりやり終了。洗ったみかんは本堂の阿弥陀さまと諸堂の諸仏と先祖さまに供えました。話しは変わりますが、盆以降、当山の檀信徒の方で墓を整理される方が、2件あり、またそれ以外にご自分の後の継承が出来ず、自分の元気な内に今後のことをどうするのか決めたいので、私住職に数件相談がありました。実際どれぐらいの経費がかかるのか、将来安心して供養ができないのか、要はご本人がどう考えどうしたいのか、知り得た情報の中で、本人にあった考えと方法で、「本人の供養も含めた」ことをご本人が元気な内に、墓を整理し先祖さまの供養と本人「亡くなられた後の」の供養の相談がありました。当山の場合は、墓を整理し、永代供養として合祀される場合がほとんどです。その供養としては、朝のお勤めでは阿弥陀さまと元祖さま(法然上人)と諸仏諸菩薩と総檀中各家先祖代々の精霊と共に特に境内墓地と永代供養の諸々精霊にも回向をしていますが、特に盆と両彼岸に年3回供養をしています。ところで、来月は師走で気忙しい時期ですが、12月8日はお釈迦様がお悟りを開き仏陀成道の自覚を得られた日です。仏教徒にとってはおめでたい成道会の日でありますが、また太平洋戦争の始まった日であります。私たちにとっては8月15日の終戦の日と共に忘れていけない日であり、お国の為に戦われた多くの戦死者と戦没者の精霊があり、今の生活があることを忘れてはならないと思います。この12月8日はわたしにとって、複雑な気持ちになりますが、「お釈迦様の教えに報恩感謝」の聖日であります。全世界が争いのない平和な世界を願う日です。先日の朝刊に、…「略」縄文文化は、自然との共生の中で育まれた狩猟彩集文明の最終的な形だろう。仏教にも、人間だけでなく草木や国土にも仏性があり、成仏ができるという考えがある「草木国土悉皆成仏」の思想がある。これらが人類の「光」なのではないか。それを日本は世界に謙虚に唱えていくべきだ。今のままではやがて人類は滅んでしまう。と哲学者の梅原猛さんが書かれています。なぜか目にとまった記事でした。人間の闇「人類が人類を滅ぶすこと、原爆、水爆、大量殺害、戦争」そうならないよう仏さまの光を私たち一人一人の心に生かしたいものです。

 

お寺あれこれ 30

山を思う 昨日 今日 明日
日頃楽しみにしている番組がある百名山です。若い頃山が好きで山登りをしました。百名山で登った山といっても私が登ったのは数えるぐらいです。 槍ヶ岳、穂高、立山、白馬等です。学生時代ですから、40年以上前のことで、その当時一緒に登った仲間は、どんな人生を送って今どうしているのか、今でも若い頃の元気な顔が想い出されます。今年は春に近くの愛宕山に登ったのですが、息が切れ、足は下り坂で痛め膝もガクガクになり、とても山から山への縦走などは夢かもしれません。。山頂からの展望やテントで、温かいインスタントラーメンを食べたことや友人と飲んだ酒など懐かしい想い出です。この年になると登る気はあっても体力がなく高い山や遠方の山は登れませんが、年に一度ぐらいは山の雰囲気を味わえる山行がしたいものです。‥など「懐かしい想い出」を思いながら百名山や山の番組を見ています。今日の午前中は境内の掃除が終わり、愛宕山や牛松山を見てほっと一息ついています。自分の体にあった山行であれば登れます。たとえば山の頂上を登るのではなく、緩やかな山道を散策したり山村を訪ねたり軽いトレッキングでもしてみたいものです。これなら妻も付き合ってくれるのでは、と思っています。(妻本人は登山は絶対無理だと言っています。)今日のテレビは午前中は八甲田山、夕方は北アルプス縦走、夜は白馬岳です。寺の用事で見れないときや特に興味がある山番組なら録画してCDに保存してます。昔よく言ったパブのマスターがご自分の夢であった八ヶ岳山麓でペンションンをつくられたので、いつか行って宿泊をと考えていましたが、調べたら亡くなられた後、他の方がそのペンションを引き継がれたそうです。その方から頂いた3冊の本を今も大切に残しています。色々と話をしたかったのですが、残念です。こんな事を思い境内の掃除をし、明日は、午前中は寺務の整理、午後は用事がなく、夜は近くの寺の十夜法要のお手伝いです。今週は2件の法事です。それまでに書院の掃除と中庭の手入れを剪定を、とやらねばならないことが次々でてきます。そうこうしている内に11月が過ぎ12月に入り師走です。平成28年もあと一ヶ月半です。良い明日が迎えられるよう今日一日を大切に過ごしたいものです。

お寺あれこれ 29

掃除と庭の手入れとふだん思うこと
今日は昨日に続いて、午前中は本堂前の松の剪定と午後は裏庭の落ち葉を集め掃除をする。例年この時期は相も変わらず境内の掃除と庭の手入れをします。当山では、月に3〜4件の法事と少なく私自身の用事もほとんどありませんから、掃除と庭の手入れをしながら寺の法務(仕事)をしているようです。寺では一に掃除、二に勤行、三に学問と、よく言うがわたしにはどれもできない、私は気ままな掃除だけはできるのです。還暦を過ぎ二足の草鞋も終わり、自由に念仏とお経が称えられて、その意味を調べるのも面白いが頭に入っているかと言えば、一日経つと頭から消えています。時すでに遅しです。この年になっても今日の自分よりは明日の自分のほうが、いくらかましな者になろうと仏教書を読んだり、知恩院や浄土宗の研修会に参加するが集中力がなく理解ができないことも多々ある。そんな自分自身に悩み苦しむが、毎日掃除をしていると心が無になる。無心に掃除をしている、他の事を忘れ気ままな掃除をした後の庭を見て喜びを感じるのです。しかし、秋の庭は、落ち葉が落ち三日後にはもう一度箒で掃かなければならないのです。草も生えてくる、草も引かなくてはならない。心も掃除をしている間はいいが、どうも部屋の中で、寺の事務や本を読むと眠たくなり、他のごたごた事に頭を悩ましすっきりしないときは、その場で念仏を称える、こうして一日が終わり日々が過ぎて往く、春、夏、秋、冬が過ぎ一年があっという間に過ぎ去る、寺の行事も終わり新年を迎えます。住職になり35年が過ぎそろそろ次の代の事を考えます。寺の住職には年齢制限はなく定年もないが、近いうちに隠居も考えたいものです。正直体もいつまでもつか自分自身わからない。まったく別のことですが、光忠寺の前の点滅の信号で、掃除中に、ドンーという音がしたので山門より道路を見ると、南から北に進行方向に車どうしが追突事故を起こしていました。今年に入って3回か4回目の交通事故である。緩い下り坂で(反対車線「北から南行」)は普段は点滅信号で、赤信号になっても車が止まらないので、前の停車中の車に追突する事故である。近くには幼稚園があり、若いお母さんや幼い園児がこの信号の横断歩道を渡られる、気を付けてほしいものです。事故車が走行車線をふさいでいるので、反対車線の車がしばらく通行できないので、私が車を誘導していると、初老の男性が自転車をおしながら、私の方を見て、「何しとんねん」と大きな声を出し立ち去ったのです。事故を起こした運転手に言ったのか、誰に言ったのかわからないが、心ない言葉です。そうこう思っていると事故車が横のバス駐車場(安全な場所)の方へ移動されたので、車も両方通行ができるようになったので、私も寺にもどりました。最近のニュースで、ポケモンをしながらダンプカーを運転して事故を起こし小学生が死亡し、また認知症の疑いのある高齢者の男性が小学生の登校中の列に突っ込み小学生が死亡されています。亡くなられた幼い命は二度と父母のもとへは帰って来られません。私たちが気を付け交通事故をなくさねばなりません。人間の不注意で事故が起こったなら罰する刑も重くしなければいけないものか?、また、現在自動車メーカーが競って自動運転ができる自動車を開発中ですが、自動車が事故を起こさない自動車をつくれないものか?運転免許も年齢制限が必要なのか?私たち一人一人が「交通事故ゼロ」を心がけなければ事故はなくなりません。一刻も早く交通事故がなくなる社会をつくらなければ、交通事故で亡くなられた方々がうかばれない気がします。老若男女 命は平等であるが、特に幼い子供たちの命が亡くなられることは胸が痛みます。ご冥福をお祈りします。

お寺あれこれ 28

いもほり 平成28年10月15日
6月にじゃがいもを収穫したあと7月にサツマイモを植え付け、10月15日孫とサツマイモを収穫しました。孫と一緒にいもほりは楽しいものです。初心者の野菜作りにしてはたくさん採れました。

お寺あれこれ 27

育て方と親子関係 子離れ 親離れ
親はかわいい子供のためなら、自ら汗をかき苦労して得たお金でも子供に使います。一人の子供を育てる苦労は、両親にとって、言葉では語りつくせないほど大変な事です。特に母親は、幼児期には食事や洗濯に、また幼児の遊びにも怪我をさせないよう一緒に行動を共にしなければなりません。親の子供に対する期待は、はじめは健康で五体満足であってほしい、という平凡な願いが、将来自分の子供だけは、社会人として立派になってほしいという願いになり、親の都合に合わせた願いが一つずつ増えていきます。また親自身も将来どうなるかわからず、できれば、先祖代々の家や仕事まで就いて欲しい、親自身の不安から子供を当てにしているのではないでしょうか、同居、病気の時には、葬式は、と色々と世話にならなくてはならず、子供がいなければ、死ぬまで自分の事はすべて自分で処理をしなければなりません。裏返せば、子供を育てた代償に親として思わざるおえない願いごとかもしれません。子供は親の思いも知らず、当たり前のように何の不由もなく育っています。親子喧嘩でもすると子供は、親に対して一人前のことを言うのです。そんな時に親は何のために子供を育てたのか、親は空しく悲しく思うときがあるでしょう。子供は幼少の時には、あどけない笑顔や泣き顔を見せてくれただけでも、親は有難く(親孝行として)思わなければならないことかもしれません。親にとって、子供の時のしつけとスキンシップこそなによりもまして大切です。子供が成人して結婚と同時に、親との同居が不要な嫁姑問題や家族の悩みを起こす原因になっていました。私の考えでは、無理に同居するのではなくお互いの生活がありますから、同居よりスープが覚めない距離に子供が近くに居てくれば、いざという時でもお互い対応がスムーズにいくように思います。いくら子供でも成人になり社会にでれば、個性もでき職場もあり幼い頃の子供ではなく、食事も合わず一緒に同居することは大変ではないでしょうか、世の中には、二世帯三世帯が同居され代々の家訓を守っておられる家庭もありますが、最近はほどんどのお若いご夫婦は親とは別に家を建てられています。私は老後でもできれば、夫婦だけで気ままに住みたいものです。そのためには心も体も健康でなければ生活ができません。また定年後は収入はほとんど私も含め皆さん年金だけで苦しい生活をしておられます。親は子育てが終われば、自分の趣味や現役の時にできなかったことを、やり遂げる時間があります。人生最後まで生きがいと信仰(進行)を持ち進みたいものです。子供は親を当てにせず、自分たちの目標に進んでほしいものです。今日の新聞に、子どもが祖父母に会う機会が「年末年始」が70%と載っていましたが、「女性限定の育児支援サイト504名に対象」さまざまな事情があると思いますが、お爺さんお婆さんをもっと利用して頂きたいと思います。但し私たち老夫婦には孫の教育やしつけには責任はなく、親(子供)の考えがありますから、私たち夫婦はお爺さんお婆さんの役目で、孫を預かり孫の泣き顔や笑顔を見て「一喜一憂」楽しんでいます。ただ事故や怪我には注意し目は離せないのが大変です。話を戻しますが、親は子供に財産を残さないこと、私の父は、先代住職でしたから、寺の維持と生活をするのが精一杯ですから、私たち姉弟には財産分与というものはなく「老僧の遺骨」のみでした。いつも老僧はお前たちには財産は残さんでー、葬儀は頼むでーと言って笑っていたことを思い出しました。親子関係が上手くいかないのは、親が子供を溺愛し甘やかし育て私物化したことや、(私も含め)子供の親への甘えなど様々な原因がありますが、現在の風潮として、戦前の国家や家族制度等はすべて悪者のように否定されて、戦後は民主主義のもと自由と平等と人権の保障が国民に与えられましたが、子供までも権利を主張する時代になりました。世の男性諸氏も結婚をして子供ができれば、夫婦関係より「亭主元気で留守がいい」と母親と子供との関係が強くなり、夫(男性)の存在感もなくなりました。また社会も家族も個人主義的傾向が強く主義主張はされるが、自分の言動には責任をはたさない大人がいます。親も子供も自分だけの考えを通すのではなく、お互いがいい意味で利用し合い助けあって生きていけば話す機会も多くなり親子関係が深まります。親は子供を成人まで育てる責任はありますが、子どもに対して、過剰な期待をせず幼い頃の笑顔や泣き顔をみせてくれただけでも「よし」とし、あとは「おまけ」でそれ以上のことは望まないこと。適当な距離を置きお互い干渉はしない(放任でもない)ことがいい関係を保つ一つのひけつであると勝手に思っています。親の愛は無償でなけれなならないと思います。

 

お寺あれこれ 26

家の間取りと育て方
本堂と庫裡(住まい)を再建して、23年が過ぎました。私が育った頃は、この寺は本堂と庫裡が合わさった藁葺屋根にトタンを被せた建物でした。その建物の一角に8畳二間を本堂として使用していました。江戸時代末期から今の本堂が完成するまで、150年以上本堂のないお寺でした。昔の建物ですから襖と障子を外すと大きな部屋となり寺の行事や法事にに使用ができました。今の庫裡を建てる際、家族其々が帰っても、居間(リビング)を通らないと各部屋へ入っていけないようにしましたから、子供が学校から帰って黙って部屋へ入られないのです。必ず親は子供の顔が見られるように、子供も親の顔が見られるようにしました。今から23年前は、すでに家庭内暴力とか学校(校内暴力)でのいじめや様々な問題があり社会問題になっていた時代でした。子供の教育や育て方について色々とマスコミも取り上げていました。私も特に子供に対して、これと言った教育方針もなく、ただお寺ですから、仏さまに手を合わせること、と善悪のけじめだけは(悪い事は絶対するな)子供に教えたつもりです。あとは妻に任せっぱなしでいいかげんなものでした。しかし家を建てることは、一生に一回あるかないかの人生にとって一大事の事業ですから、家の間取りについては、私のこだわりがありました。『家族が仲良く過ごすこと』ができる住まいができれば、という夢があり、そのためには、一日一回は必ず家族の顔が見られること、挨拶ができること、また子供が勝手に、黙って各々部屋へ入れないような間取りにしたわけです。当然外へ遊びに行くにも、親がいる居間を通らなければ行けません。二階の子供部屋は鍵がかけられず、子供は長男と次男でしたから、一つの部屋を本棚と机とベットで区切り鍵がかけられる個室は与えないことを考えていました。学校の成績は、カエルはカエルの子で、期待は持てなかったが、字が読め、ある程度の計算ができれば良しと考えていました。それとスポーツとか武道で、仲間と切磋琢磨して、共同生活を学んでくれれば、社会人になってもなんとかなる、という私の勝手な考えで育てましたから、本人たちはどう思っているかわかりませんが、子供はいつまでたっても心配なものです。最近ニュースで、成人になった子供の事件で、親の責任が問われるようですが、親は親で、子供の責任は親にはない。ときっぱりと言えないのが今の私の考えです。現在の社会は、今思うと子供を思うあまり溺愛したり、かぎっ子など放置し、子供のしつけや育て方まで、保育園や幼稚園、小学校や中学校の教諭まで押し付けた時代です。子供に対して、あらゆる時間や金を使い、偏差値重視の進学校に進学させ、いい会社へ就職できればよしという、自分の子であるがゆえ、子供の人生まで親の思いどおりにする親がいますが、そのことが子を私物化することに気がついていない親がいます。「子は親の言う通りにはしない。親のした通りにする。」ということが、どこかの掲示板に書かれていました。自分が親にした通りに、その子も親にそうするでしょう。「三つ子の魂百まで」と言いますが、私たちの性格は、3歳までに養われるそうですが、もしそれが本当にそうであったなら、親にとって子供のしつけこそ大切なことです。特に母親のスキンシップは時間をかけて行われることが望まれます。現在、母親や父親が、幼児を自分の思いどおりにならない、その腹いせに、最も弱い、なんの抵抗もできない赤ちゃんや幼児を虐待し殺していまう事件がありますが、大人になり切れない大人が結婚をして、子供を産んでしまうこと自体が悲劇かもしれません。わたしも可愛い孫がいますが、こんな幼い子をどうして虐待するのか、そんなニュースや記事を読むだけで心が痛みます。ほんとに悲しい事です。親は子供の教育の責任を学校や社会に責任を転換し、また子供を責めたりします。しかし、まず親が「まともな生き方をしているのか」自分自身に問うことも必要ではないでしょうか。日本も豊かな先進国と言われていますが、高度経済成長期はお金が入り物が豊かになり、また科学が進歩して、なんでも便利な時代になりました。そのひずみとして、青少年の非行犯罪や家庭の崩壊、老老介護、学校でのいじめによる自殺、教育問題、雇用問題、年金問題など社会問題が続出しました。しかしここ20年は景気も落ち込み、経済も低成長期になり、サラリーマンの平均収入が400万になりバブル時代より下がっているそうです。私たち自身もやっと足元を見る時代になったかもしれません。親がまず、自分さえよければ、また自分の子供の利益や出世だけを望むのでなく、自分本位の考えを改め、人を思いやる優しい心を持ち、自分が実践すること、また周囲の人に伝えていくことが社会人としてもっとも大切なことではないでしょうか。

 

お寺あれこれ 25

お見舞いに行く
以前職場で働いていた時の同僚が体調を崩し、彼の自宅近くの病院に入院をされた事を聞きお見舞いに行く。彼は学生時代空手部で、話し好きのいい雰囲気をもった硬派でありましたから、体には自信を持っていたと思う。今もスポーツジムへ行き2時間くらいは軽く汗を流している彼であるから、私もまさかと思ったが、お互い還暦も過ぎなかばで、ある意味では病気になっても覚悟をしなければいけない年である。朝車で行き1時間30分ほどで、その病院に付き彼に会う、彼の顔には大きなマスクに、腕には名前が書かれたものをまかれていた。話を聞くと2週間ほど前に、体調が悪いのに、自分では大丈夫と思っていたが、娘さんが病院へ強制的に予約を取り、受診に行ったところ、即入院をするはめになったそうである。昨日まで鼻に入っていた酸素吸入がとれやっと自分で歩けるようになったそうである。娘さんが来られていて、色々と世話をされている。子供の一人には女性がいなければ、こんな時には、男性ではどうにもならないものである。(残念ながら私の場合は、こどもは兄弟とも男性である。)彼も寺の住職であり、今も二足の草鞋で現役で働いておられる。なにかと大変であることはわかるが、まずは病気を治すことが何より先決であることは私が言うより、彼自身が一番わかっていることであるが、「早くようなってや」と言うしか、言葉がないのである。彼はふだんの生活とは違う入院生活が大変であるので、娘さんに「勝手がいかない分」なにかと頼んでいるようである。わたしも心臓が悪く14年前に3週間ほどの入院生活を経験をしたが、入院当初は自由がなく検査ばかりですから、ほとほと精神的に疲れてしまいます。入院し手術ともなると「まな板のコイ」で医者と病院側にすべてを任せるしか方法がないのである。いつも思うのであるが、治る見込みのある病気であるならば、入院のしがいがあるが、治らない病気で入院し一人寂しく死ぬ場合も多々あるのである。現代ではほとんどの方が病院でお亡くなりになる時代である。彼の話によると、この入院中に何人かは親族の方が、遺体を迎えに来られたということである。私たち僧侶も死に接する機会が多くありますが、自分の事になると、どうなるのか、お釈迦さまの教えでは世の中のすべての存在が変化することは、頭の中では教えとして知ってはいる。実際自分が死ぬこともその一環であり、そう怖がり恐れる必要はないのであるが、そこは凡人で愚か者であるので、慌てふためくのが落ちかもしれません。担当医によるできる限りの処置がなされても、麻酔やモルヒネにより痛みは和らぐが、患者である私たちの心の不安や苦しみは、薬や麻酔では、やわらぐことはないのです。わたしたち現代人が、安心して息を引取るのは、どうしたらいいのか、やはり普段から、生死の事や信仰の中で、自分の死を「どうしたら」素直に受け止める事ができるのか、普段から考えておくことが大切ではないでしょうか。今までは病院や医師側の一方的な判断や延命治療を受け、本人の意思とは別に、死に至るケースが多くありましたが、これからは患者自身も医師任せや病院任せではなく患者自身が自分の病状をよく知り、自分の判断や意志を養うことが大切です。日頃からしっかりと「生死事大、無常迅速」を心がけておくべきではないでしょうか。彼とは30分ぐらい話をして別れました。彼は寺の松を自ら剪定をされるので、早く彼の剪定した松を見たいものです。

警覚偈
敬曰大衆 生死事大 無常迅速 各宜醒覚 慎勿放逸

敬いの念をもって広く皆様に申し上げます。生と死の輪廻をめぐるか否かの事は、生きていく上でもっとも肝要な事ですが、時は常に移り変わり、しかも非常に速いものですが、おのおのしっかりと目を醒ますべきです。慎みの心をもって決して放逸(きまま)になってはいけません。

お寺あれこれ 24

〇家墓所整理と改葬が増える。
近年当山(光忠寺)の境内墓地でも、墓所の継承が出来ない方や遠方の檀信徒の方が何らかの理由で、使用されていた墓所を整理されて、遺骨を改葬されることが年に2件程あります。昔は遠方であれ、近くであれ必ずお参りがありました。またご自分が参られない場合は、寺に供養のため布施をお送り下さり盆、彼岸の法要に不在ではありますが、各法要でお勤め供養をして、あとで各家墓前に供養した塔婆を供えています。今年は、盆の最中に檀信徒の方がお亡くなりになり、子供さん(継承者)がおられず、光忠寺で、遺骨を預かり満中陰まで供養して、ご本人のご意向で事前に聞いておりましたので、その方の墓所を整理し、当山にある永代供養墓に合祀する予定です。近年墓地を持つためには、墓所(区画された墓地)の購入(実際には墓所を永代使用)し、また墓碑を建立しなければなりません。その為の大きな経費がかかります。また維持管理料など、先祖代々からの墓所を、子供や孫に継承されることは、これからは大変な時代です。墓地を持たれる方は、近くで、交通の便が良く、年老いてもお参りができる事が、一番の条件であるようです。経済的には個々に墓所を持つよりは、永代供養墓がある寺や本山の納骨堂や樹木(桜)墓地や骨仏の有名寺院に納骨するのも一つの考えです。この寺では永代にわたり供養をして頂ける寺院か、民営墓地や公共墓地でも清潔で綺麗な墓地であるか、維持管理がしっかりしているか、ご自分の考えとあった墓地であるか、見極めて墓所を選ばれることが大切です。お一人の方は、もしご自分にもしもの事があることを、考えて後見人というのか、死後の事も依頼できる人を健康な内に、決めておかないと、死亡届や葬式や相続で、回りの人に死後の事務処理等で大きな負担をかけることになります。法的には弁護士や司法書士の専門職の方々にご依頼されるのが、よいのではないでしょうか。たまたま今回このようなことがありましたので、皆様も今一度健康な内に、ご自分の記録帳なりもしもの時には、後に残った者が、困らないように事前に、後のことを考えた整理と準備が必要です、子供さん(後継者)に、ご自分の考えがわかることを、記しておくのも大切ではないでしょうか。墓は近くで、いつでもお参りができることが条件でなければいけないようです。それとこれからは一世代で継承する必要のない個人に対応できる墓が必要に思います。墓だけではなく色々な意味で、地域の小さな寺でありますが、その役割と対応を考えなければならない時代だと思います。