お寺あれこれ 6

戦争に思う

昔の写真を整理してますと私の父(老僧)のアルバムには戦争当時の軍服をきた父の写真があり、陸軍の集合写真や戦友とのひと時を楽しく過ごす写真があります。また若い父が軍刀を腰にさし母(祖母)との二人の出兵時の写真を見てますと、当時の大日本帝国憲法もと軍政権による社会全体を統制下におき学校教育や宗教や国民すべてを弾圧し戦争に突き進んでいったことがよくわかります。写真の横には、戦友に投げかける一言が書かれ当時の父の思いが伝わってきます。実際に父から戦争の話しはほとんど聞いたことがなく、祖母から聞いたことか親戚から聞いた事か、?私の記憶に残っているのは、昭和20年終戦間際に、父が都城の飛行場から自ら戦闘機(隼)に乗り敦賀の飛行場まで帰り、当山先住の義理父である西岡孝道の葬儀(4月)をして終戦をむかえた、という事だけです。父も戦争の事は私に話すことはなく、詳しい事はほとんどわかりません。戦時下における徴兵制度で、多くの少年や青年がどんな気持ちで、天皇陛下の為、日本のために戦場に行かれたのでしょうか、このアルバムには、戦友や父の写真には悲しい表情の顔はなく目は輝き、笑顔で写る戦友の写真が多くありますが、一枚の写真の横には、新聞の戦死報告の切り抜きがありました。若く希望に満ちた人生を送るはずであったのに、戦争とは不条理で残酷そのものです。第二次世界大戦では、敵味方の尊い多くの兵士や民間人が亡くなられました。仏教と戦争は相反するもので、仏教の不殺生戒は仏教徒のもっとも大切な教えであります。しかし当時は、寺の住職も、学校の先生も日本国民の男子である限り戦場に駆り出されたのです。私には父や当時の仏教会を批判することはできません。なぜなら自分も同じように「戦争反対を言わず国家の方針に従う」からです。村の心優しい和尚さんが、「従軍僧として、敵国の兵士だけではなく、民家に紛れ込んだ兵士を探すのにその家族を殺した」と言う記事を読んだ事があります。これが現実に歴史であったのです。日本が中国大陸や朝鮮半島や東南アジアに侵略戦争をしたことは、私たちが思っている以上に被害にあわれた国の皆様が強い怒りと怨みを持たれることは当然と言えます。仏教は、インドで成立した非暴力主義の教えを説いた宗教です。具体的には「生き物を殺してはならない。他人に殺させてはならない。他人が殺すのを認めてはならない。」(『スッタニパータ394』)と説かれています。また極東軍事裁判でインドとスリランカが日本への賠償請求を放棄する根拠にしたのがお釈迦さまの言葉です。その内容が「実にこの世において、怨みに報いるのに怨みを以ては、ついに怨みの消えることがない。怨みなき心によってのみ怨みは消える。これは永遠に変わらぬ真理である。」(『法句経』)この教えを心に定め、他国から言われることなく、戦争を経験したことがない私たちも過去の歴史を学び、二度と戦争を起こさせないよう私たちができることは「何か」を考えなければならないと思います。怨みに怨みで報いれば怨みは止まらない。武士の子であった法然上人が出家されたのは、「仇討ちをやめ、私の菩提を弔い、また自らも悟りを得なさい」と言う父時国公の遺言です。(お前が仇を討てば、相手もまたお前を恨みに思い、仇は代々尽きることがない。)今の世界で行われている戦争は、イスラム国やアフガニスタンでの無差別殺戮やテロを終わらせる大儀のための正しい戦争ならよいという考えならいつまでも戦争は終わることはないでしょう。現実は軍事力の均衡によって平和が保たれる事も確かです。しかし私たち仏教に関係するものは、暴力を除くあらゆる手段と対話で、平和を願い訴え続けていくしかないように思います。人種・政治・文化・経済が違う国々が互いに認め合うことができる相手を思いやる心が必要であるのではないでしょうか。パリテロ事件で、妻を亡くされた男性が、悲しみ憎しみを乗り越え、イスラム国の犯人に対して、「決して君たちに憎しみという贈り物をあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈したことになる。と憎しみを否定、最後に私(妻を亡くされた男性)と息子(2歳)は二人になった。でも世界中の軍隊よりも強い。とメッセージを公表されました。これは人間としてもっとも強い心と勇気ある言葉であり、敬意と哀悼の意を表したいと思います。