お寺あれこれ 7

寄付(募財)の石板

先日、あるお寺の総代さんが突然当山に来られました。要件は「来られた総代さんの寺の本堂再建に当たり、本堂が完成したので寄付された檀家の名前と寄付額をどのようにされているか」教えて頂きたいということである。先ずは菩提寺の住職と相談されましたか、とお伺いすると相談は後でするそうである。(住職から私住職に相談があるのが一つの筋である。)しかしわざわざ来られているので私の考えをお話しました。約25年前に当山光忠寺が本堂諸堂の再建前に、私が地元ではなく教区内の数ヶ寺をお伺いしたある寺に、新築された本堂の横に「大きな石板に、寄付者の名前と金額が刻印されていました。」住職の考えか、総代の考えか、寺としての考えなのか、その時は私も違和感というか少し考えが違うのではないか、と思いました。というのはある意味では金額を表に出すことで、様々な問題があります。せっかく新築の本堂ができても、全体の景観からみると、その石板が目立ちすぎるのと新築された本堂と庭が台無しである。他に方法がなかったのか、募財(寄付)は布施とは意味合いが違うかもしれないが、根底にあるのは「檀家の気持ちである。」布施行である。他人に言うことでもない。寺の募財台帳に記載しとけばいい事である。当山も私住職の考えを総代に伝え「今現在は本堂にも、書院にも表には書いていない。」ということを訪ねて来られたその総代さんに伝えました。その地域や寺の考えで様々な考え方があることを分かって頂いて、その総代さんは帰っていかれました。これとは違いますが、昔から地元で、桜と紅葉の美しい神社に、いつも楽しみにお参りをさせて頂いていましたが、同じようにとてつもない大きな寄付者の名前と金額が書かれた石板が設置されました。また新しい灯篭も狭い参道に立ち並び、今まで山の借景に溶け込んだ神社の檜皮葺本殿が見えた、素晴らしい神社の景観が台無しです。残念です。私も経験がありますが、寺や神社が本堂や諸堂など大きな事業をするときは、色々な企業や会社や人間が寄ってきます。世間を知らない私住職(僧侶)などは、「赤子の手をひねる」ように簡単に騙されます。この現実の社会には身近なところに悪い人がいる事を知ったことです。貴重な経験をさせていただきました。話はそれましたが、この寄付された方々の気持ちを「十分考え」名前や金額をどうするかは寺と住職が判断することです。本筋の意味がずれ、物事が前に進むことが多々あります。知恩院の大殿(御影堂)が修復されているが、大殿が全国の浄土宗檀信徒の募財で修復されているが、総工事費の40%が檀信徒の募財で、あとの60%は文化財の補助金である。(国民の税金である)檀信徒以外の国民の税金が使われていることはあまり知られていないと思うが、私たち住職も忘れてはならないと思います。(檀家を乗せたバスや宗門学校のバスが大殿の横や前まで多く乗り入れされるため、多くの樹木が弱り無残な姿になっています。(昔から一部の住職の要望でバスや自動車が本堂前まで乗り入れられる。)建物だけ修復すれば完成ではなく是非境内も文化財に合う庭や境内を管理してほしいものです。特別風致地区ですから、木の枝を一本切るのも府の文化財の許可がいるところです。木を切れば必ず植栽をしなければなりません。この特別風致地区は建物の高さや色また自然の樹木までが規制を受ける地区です。知恩院も「大殿」だけを修復することではなく、予算を作り昔の庭や境内を復元できる専門の職員や執事が必要です。そういうことに興味を持つ人材はいないのが現状です。無理なことですね。境内の植栽とバスや自動車の乗り入れの規制を考えて頂きたいものです。今後も周囲の景観や庭も合わせた「知恩院の本堂」が修復されることを切に願いたいものです。また亀岡にも、記念樹で多くの樹木が寄付され植えられているが、あわれな枯れた桜の木が保津小橋近くにある。かわいそうなものである。根本の土壌改良や肥料をあたえれば、枝の腐食が原因なら悪いところは切り、樹木専用の防腐剤を塗れば枝は元気になり、新しい芽が吹くのです。良くなるのにもったいないことである。管理者がいないのか植えられた方なのか?花や樹木も大切にして頂きたいものです。