お寺あれこれ 11

靖国神社に思う 1

ここ何年も前から首相の靖国参拝が問題になっている。靖国神社とは今の私たち日本人にとってどのような神社なのか、隣国の中国や韓国から第二次世界大戦の東京裁判でA級戦犯になられた方が合祀された事への批判 抗議がある。また領土問題や慰安婦問題に絡ませて首相の靖国参拝を外交問題に発展させている。終戦から70年が過ぎたが、過去に日本が侵略戦争を行った事を考えると当然かもしれない。しかし日本だけが首相や政治家が靖国神社へ参拝をすると批判がいくどとなく繰り返されるのはなぜなのか、今の日本は平和である。茲にいたるまで多くの国難に立ち向かわれた先人たちの血のにじむ心「国を憂う」とお国のために命を懸け亡くなられた戦没者の犠牲が土台となり、今の平和な日本社会がある。国事に殉じた死者の霊にお参りするのは当然な事である。首相や国会議員の参拝が過去の歴史を変え軍国主義肯定に通じるというのはあまりにも短絡的な考えである。中国や韓国の非難抗議は内政干渉である。戦後の靖国神社は一つの宗教法人でありメモリアルパークではないが、戦没者に手を合わせお参りされる方は「非戦の思いで平和を願いお参りされている」特定の宗教を超えている思いがします。他の国ではメモリアル・パーク(共同墓地)へその国の最高責任者である首相や大統領が参拝するのは当然の事として行われている。いままで私は過去の歴史も靖国神社の由緒も分からず、マスコミが取り上げる靖国に関するニュースや新聞の記事を腹立たしい思いで読んいた。のど元を過ぎれば後は忘れるのか世の常である。 マスコミも他国の非難抗議があるときだけ報道するが、深く掘り起こし意見を述べないので、尻切れトンボの中途半端なままで終わってしまう、日本も平和過ぎて平和に無関心な国民が多い。アメリカとの安保条約があるが、自分たちの国は国民自ら守る意思をもたなければ「自由な国日本」は守れないのです。世界の国々と平和な国際社会を造りすべての国の人々と共存共栄をはからなければならない時代である。寺の住職は毎朝お勤めの際に「怨親平等」や「三界万霊」と過去の戦没者を供養回向をしている。怨親平等や三界万霊とは、過去の戦争で亡くなくなられた敵味方くべつなく死者をすべて平等に供養をする思想である。お釈迦さまの説かれた「非暴力主義」の教えである。私自身他国から言われる事なく一人の日本国民として靖国神社を調べ考えたいと思います。靖国神社の創建は、明治2年(1869)6月29日に建てられた東京招魂社に遡りますが、当時の日本は歴史的大改革(明治維新)にあり、250年続いた鎖国政策をとっていた幕府は厳しく外国との交流を制限していたが 西欧諸国やアメリカがアジア諸国を植民地として進出し、日本にも開国要求を強め開国派と鎖国派の対立が激しくなり、国内は大きな混乱に陥り、 徳川幕府はそうした危機的状況を乗り切ることが出来ず、政権を天皇に返上し日本は新たに天皇を中心とする近代国家として明治政府が歩み出しました。しかしその陰には、戊申戦争や佐賀の乱や西南戦争の不幸な戦いで多くの戦死者を出しました。国家建設のために尽力された多くの同士の尊い命を慰霊顕彰するために、大村益太郎(日本陸軍の創始者)が東京に招魂社を創建することを献策すると、明治天皇の勅許を受けて明治2年に東京招魂社が創建された。その後明治12年(1869)に「靖国神社」に改名し現在に至っています。ここで私が気になることは、明治維新にいたるまで鳥羽伏見の戦いから函館の五稜郭にいたるまでの内戦で、新政府側で3588名の戦死者があり、この政府側だけの戦死者が招魂祭に招かれて靖国神社に神霊として祭られているが、旧幕府側の8628名と新政府の招かれざる魂が1369名であり、約1万余の魂が排除されたことは、仏教の怨親平等思想で考えるとどうしても納得いかないところです。当時の尊王攘夷とは現代日本でいうと極左から右翼まで反対しない民主主義と同じような誰からも受け入れられる一般的な理念だったようです。極端にいえば正義とか平和と同じようなものです。佐幕派も倒幕派もともに尊王攘夷だったわけです。歴史的に倒幕派が勝ったので自分たちこそが尊王攘夷だったと倒幕派が主張しました。内戦の激化が進むと招魂祭を執り行い、官軍兵の指揮を高め、先に斃れた同士の魂を神に祈り、その前で自らも死を誓う「崇高な」儀式として、招魂祭は一層その必要性をましました。続く(参考 大法輪・カルチャー講座 幕末維新と仏教)2011.11