お寺あれこれ 17

 

感謝「おかげさま」

今日はブラジル日系3世の方が、日本での25年間の生活を終えられてブラジルへ6月に帰られるので、知人数名で送別会をしました。彼女は約30年ほど前にブラジルでお父さんを亡くなられてから、ブラジルでの生活が苦しくお母さんに仕送りをするために日本に来られたそうです。彼女を知ったのは、近くのホテル旅館の売店で仕事をしていらっしゃる方で、私たち夫婦は月に1回そのホテル旅館に日帰り温泉に行きますと、いつも明るく仕事をされていますので、自然と話をしているうちに親しくなりました。その方のお父さんの葬式は、南無阿弥陀仏でお葬式をされたということです、本山は京都駅の近くと言ってられましたから浄土真宗だと思われます。ご両親の葬式は仏教でしたが、ご本人はキリスト教だといっておられた。なぜかというと南無阿弥陀仏の意味が分からないから、キリスト教の教会へ行きお祈りをするのが自分にあっているそうです。日本での生活の中で、苦しいかったときは、と聞くと7年前にブラジルでお母さんが亡くなられた時に、精神的に落ち込んだそうです。その時に先祖のルーツである福島の先祖代々の墓へお参りをした時に、涙がこぼれおちるように流れて、心にあった苦しみや悩みが洗われ自然と落ち着かれたとそうです。それと自分がここまでもったのもお客様の温かい言葉があったからこそ、言葉の壁を乗り越え25年もの長い期間働くことができたと言っておられました。苦しい時、悲しい時、お客さんが声をかけて励ましていただいたことが有難かった、それがなければ1年ももたずブラジルへ帰っていたかもしれないと言われていました。私などは海外で生活をすることも考えられず、またそのような勇気もないのです。女性一人で日本で働き生活をされたことは、わたしにはできないことです。ブラジルへ帰られたら、明るい彼女ですからきっと幸せに暮らしていかれると思います。第二の人生ブラジルで頑張ってほしいものです。日本で一番良かったことは、富士山の山頂からの山々の景色は忘れられない。最高の想い出だと言ってられました。ブラジルへ帰っても登山は続けるそうです。人生山あり谷ありブラジルへ帰って、生活は楽ではないけれど楽しくライフワークするわー彼女の言葉には明るく力強い響きがありました。南無阿弥陀仏の意味がわからないと言ってられましたから、南無は帰依とかお願いすること、なかの阿弥陀は無量の寿命、無量の光のことで、またすべての植物や動物の命(自然の恵み)を頂き私たち人間は生かされいます。最後の仏は「それ『自然の道理』を知ったものが覚者」である。これを総称して「おかげさま」という感謝のこころであることを彼女に説明をしました。彼女が分かってくれたかはわかりませんが、少なくとも私たち日本人が忘れている勿体ないやすまないというこころや目に見えないものに対しても感謝の気持ちは持たれていました。わたしも彼女のように昨日よりも今日一日を前向きに歩みたいものです。詩人の坂村真民さんは「何かをしよう」という詩を詠んでいます。

「何かをしよう みんなの人のためになる なにかをしょう よく考えてみたら自分の体に合った なにかがある筈だ 弱い人間には弱い人間なりに老いた人には老いた人なりに何かがある筈だ 生かされて生きている御恩がえしに 小さいことでもいい 自分にできるものをさがし何かをしよう 一年草でも あんなに美しい花をつけて 終わってゆくではないか」

一年草でも「あんなに美しい花をつけて 終わってゆくではないか」この意味を考え、たった一度の人生あせらず自分を大切に「いのちの花=仏性」を育て咲かせることが「お念仏する」ことではないでしょうか。

 

お寺あれこれ 16

今年春に出入りの造園さんに書院裏に六畳ほどの新しい畑を作っていただきました。ジャガイモと九条ネギとサニーレタスを植えています。明日はキュウリとナスなどの夏野菜を古い畑に植え付けします。野菜作りは昨年からでほとんどわからず、本を見てのことですからきれいな野菜はできません。素人が作っていますので、仕方ない事です。でも孫が水やりをしてくれますから楽しい野菜作りです。長男の嫁も美味しく食べています。

お寺あれこれ 15

花祭りWEEKK   in  KAMEOKA    当山での出来事
4/29〜5/8 の期間に亀岡市仏教会主催の「花祭りウィーク」と題して協力寺院48ヶ寺で拝観・法話・座禅・写経などが行われました。当山でも本堂に花御堂に誕生仏を祀り甘茶供養とお参りができるよう開放しました。多数のお参りをお待ちしていましたが、日に3件程度でこの期間中30名ほどの参拝者で した。特にお参りの方には本堂内の拝観と朱印をご希望の方は寺務所に連絡を下さい。との掲示板をして置きました。その日は午前中は法事でしたので、本堂での警備センサーを切って状態です。法要後は警備のスイッチを切ったまま本堂正面は開放していました。12時前後に住いの警報システムに気が付きスイッチを入れようとしたときに、妻が内陣にもう一つの警報センサーの音が「カチ」したので、急いて本堂に私住職と妻二人で走っていくと不審者が災害募金の箱からお金を取り正面の花御堂を飛び超え山門から逃げていきました。服装の色が上下グレイ色のジャージ姿で白色の運動靴を履き走って逃げていく後姿を確認できたので、いったん寺に戻り妻に警察に連絡するよう頼み、私はバイクで追いかけ近くの大手スーパー店横の信号先で追いつき、不審者に「あんた、本堂で何をした。」と声をかけ止めると、その男は、すいません帰るお金がないから・・・お金を返します。許して下さい。」気の弱そうな悲しい顔をしていたのです。そのお金はなあー震災に遭われた人たちのために頂いたお金なんやーと私が言うと、財布から盗んだお金を取り出し私に返しました。なんとも悲しそうな眼をして謝るので、二度としないことをその男に言い彼を許しました。その後すぐ寺に帰ると警察の方が3人来られて現場検証されて、私住職の報告を聞き、私の対応の仕方に注意をされ帰られました。私も通行人に呼びかけ、その場で警察官が来られるまで、犯人と待っていたら良かったかもしれませんが、実際のところ体力にも自信がなくその男から距離を置くことしか頭になかったようです。心の中は怖いものです。住職としてどういう対応がよかったかわかりませんが、そういう人間こそ話をしてその人の心の悩みや悪い心を正すのが仏の道です。しかし聞く耳を持たない者は馬の耳に念仏です。その男は盗んだお金は返しましたが、その顔は「なんとも悲しい眼をしていました」順風満帆な人生を送った人はあんな顔はしません。なにか言うに言われない人生を送ったのでしょう。立ち直ってほしいものです。当山のような小さい寺は人が寄ってもらわないと阿弥陀さまも住職もさびしいものです。都会で繁華街の寺では山門が閉まってインターホンがあるところが多いですが、仕方ないかもしれません。当山も15年ほど前に仏像2体が盗難に遭いました。それ以来警備会社の警報システムを入れています。もっと皆さんにお参りにきていただきたいのですが、平素からお寺の本堂が閉まっていることは閉鎖的でさびしいものです。私が以前おじゃましたお寺さんは「檀家さんや地域の皆さんがいつでもお参りがでるよう本堂は開けています。夜中であろうが朝方であろうが本堂のお燈明が24時間ついていますよ」とあるお寺の奥さんが言っておられました。そんなお寺の阿弥陀さまや檀信徒の皆様や地域の皆様は幸せですね。それと腹が据わった住職でないとできないことです。とてもわたしにはできません。

愛宕山登山 

ひょんなことから京都愛宕研究会の知人から誘われ2回目の愛宕神社に「東日本第震災復興支援の為、昨年5月5日の片倉小十郎絵馬復元奉納」参拝してきました。コースは亀岡の神明峠からと京都の清滝表参道コースからの2ルートで約30名ほどの参加者で新緑を満喫できた登山でした。