お寺あれこれ 37

祖山恩師との夕食会

私が先代老僧から住職を継承したのは、今から40年前の昭和53年でした。私が本山に奉職をして2年目です。何も社会を知らない私が、父(老僧)の言うがままに光忠寺の法灯を引き継ぐことになったわけです。父は私の将来を心配して少しでも早く寺の法務ができるよう知恩院に奉職させたのは、父の親心であったように思います。なんとか35年間本山での奉職を終え7年前に退職をさせて頂きました。職場でのいろんなできことがあり、色々と楽しいことも苦しいこともありましたが、長い奉職中には善導大師千三百年遠忌、三上人遠忌、法然上人降誕会、法然上人八〇〇年遠忌を本山職員として参加できたことまた元祖さまのもとで、念仏が称えられたことが今となってはなによりの想い出であります。奉職中は職員の皆様の支えもありなんとか職務を終え退職させて頂いたように思います。昨日その恩師の方が、九州の福岡から本山にご用事で京都に来られて、私たち夫婦を夕食に誘って頂きました。ともに楽しい夕食をすることができ懐かし想い出話や近況の報告ができました。今思いますと、私は寺の子として育ったわけですが、特に志す信仰心もなく親の言う通りに僧侶の資格を取り住職になりましたが、その方は、農家の七人兄弟の末っ子で、町役場に就職をされたそうですが、ご両親の反対を押し切り、役場を退職され人生に悩み苦しまれて、お釈迦さまの教えに出会い、禅宗寺院の道場に行かれましたが、ご縁があって、長崎の浄土宗の寺でお念仏の教えに巡り会われて3年間、続いて京都知恩院で7年間修業をされてから、福岡久留米の寺の住職をされています。その恩師は在家から出家された住職さんで、私にはない熱き信仰心と祖山を思う方で若い頃と変わらずご自分の人生を一直線に歩んでおられるのがうらやましい限りです。今はお互い年を重ねて、いつ何時の命かわかりませんが、なにかとお互い心配をしながら再会を誓い別れをおしみました。住職と言うと定年はないわけですが、住職は年を取るほど味が出るとよく言われるが、そうでしょうか、若いから味が無いわけでもないし、年を重ねているから味があるわけでもないのです。寺の住職として、世間からの見方も捉え方も個々にちがいますが、住職の勤めは本来仏教の教えを伝え説くことです。「人々の苦しみや悩みをどう乗り越えるか」その智慧を自他共に学び進め「仏の道」を説くことが一番の勤めです。しかし現状での寺の勤めは永い歴史の中で、葬儀や法要の先祖供養が主な勤めとなっています。もちろん大切なことです。明治以降僧侶・住職も妻帯が許されました。この為、寺に住職と寺族が生活ができるようなり、本来の修行道場としての規律を守っていた住職と弟子たち僧侶の寺(サンガ)が、近年時代の急激な変化に流され、住職しての勤めをせず生業と成り果て、寺族の生活の場となり私物化が進み社会的信用もなくなり今に至っている事と思います。但しすべての寺の住職さんや寺族が該当することではなく、私自身の事「反省」も含め、仏教情報誌や私が持つ総研叢書(「僧侶、いかにあるべきか」発行浄土宗)等から「寺が社会問題として取り上げられている寺や僧侶と住職」を指します。こういう時代ですから、住職・僧侶の方が再度仏教を学び人生に生かさなければ檀信徒の皆様や社会の人々に布教し説くことができません。法然上人の教えである称名念仏を実践し、安心して気楽にお念仏が称えて頂けるような寺にしたいものです。最後に「浄土宗の僧侶の養成は、教団が行うべき活動のなかで、もっとも重要なものです。宗学を学び、人々を教化し、次の世代に宗学を伝える。このような役割を担うのが僧侶ですから、その養成が教団にとって極めて重要であることが理解できる。僧侶の養成にあたっては、養成の目標となる僧侶像が必要になります。浄土宗の僧侶は、往生浄土を目的(所求)とし、阿弥陀一仏を信仰の対象(所帰)とし、その目的を達成するために称名念仏の一行を行ずる(去行)者であります。」と「僧侶、いかにあるべきか」冒頭に書かれています。時代の流れにややもすれば流されてしまう私たちですが、変えてはならない宗教的側面や儀式作法は自ら学び次の世代に伝え、対応すべき社会変化に柔軟に対応できる僧侶や住職が必要とされる時がきているように思われます。

お寺あれこれ 36

お釈迦さまの教えに諸行無常、「すべてのものは移り変わり変化してやまないこと」、諸法無我、「われがないこと」、一切皆苦、「すべてのものは苦である。」仏教の基本となる教えがありますが、私たちはそのことに気が付かず、この世は無限であり、自分の財産は永久に自分のものとばかり、人生を自分勝手に生きているのです。「自分のもの」という我に執着し、我執から離れなれないのがわたしたち人間です。すべての存在は縁起しているから、無常であり、常に生じ滅しているから、永久に自分の所有物はありえません。頭ではわかっていてもいざ自分の事となると私も死ぬまで欲望があり煩悩が消えることはないと思います。若い頃、執事長に「日暮れ腹暮れではだめだ」と言われたことをなぜか最近思いだしています。私も毎日を徒食に終わることなく寺の住職の勤めに励み念佛に称え、反省の毎日であります。今日も強い寒波で当山から見える愛宕山が白い雪化粧で美しい山容を見せてくれています。庭には白梅と老梅が咲いていますが、昨年剪定の時に、枝を切りすぎ花芽がすくないようです。本堂前にある一本のしだれ紅梅が来週くらいから咲始ますので、近くの方は気楽に見て頂ければと思います。今日も夕方6時頃まで明るくなり、日一日と春が近づいてますが、暖かい日が待ちどうしいです。東の夜空には明るい満月が出ています。法然上人作の「月影の いたらぬ里は なけれども、ながむる人の 心ぞすむ」を思い出します。この御詠歌は、浄土宗のお勤めのお経に攝益文「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の心を歌ったものです。意味はみほとけの慈悲のみ光りは、全世界に隈なく及んでいるものであって、お念仏に心を掛けてお浄土を願う人々は、一人残さずお救いくださる。ということです。今夜は寒気で空も澄みわたっているのか美しい月夜です。自然と見とれてしまいます。