お寺あれこれ 36

お釈迦さまの教えに諸行無常、「すべてのものは移り変わり変化してやまないこと」、諸法無我、「われがないこと」、一切皆苦、「すべてのものは苦である。」仏教の基本となる教えがありますが、私たちはそのことに気が付かず、この世は無限であり、自分の財産は永久に自分のものとばかり、人生を自分勝手に生きているのです。「自分のもの」という我に執着し、我執から離れなれないのがわたしたち人間です。すべての存在は縁起しているから、無常であり、常に生じ滅しているから、永久に自分の所有物はありえません。頭ではわかっていてもいざ自分の事となると私も死ぬまで欲望があり煩悩が消えることはないと思います。若い頃、執事長に「日暮れ腹暮れではだめだ」と言われたことをなぜか最近思いだしています。私も毎日を徒食に終わることなく寺の住職の勤めに励み念佛に称え、反省の毎日であります。今日も強い寒波で当山から見える愛宕山が白い雪化粧で美しい山容を見せてくれています。庭には白梅と老梅が咲いていますが、昨年剪定の時に、枝を切りすぎ花芽がすくないようです。本堂前にある一本のしだれ紅梅が来週くらいから咲始ますので、近くの方は気楽に見て頂ければと思います。今日も夕方6時頃まで明るくなり、日一日と春が近づいてますが、暖かい日が待ちどうしいです。東の夜空には明るい満月が出ています。法然上人作の「月影の いたらぬ里は なけれども、ながむる人の 心ぞすむ」を思い出します。この御詠歌は、浄土宗のお勤めのお経に攝益文「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の心を歌ったものです。意味はみほとけの慈悲のみ光りは、全世界に隈なく及んでいるものであって、お念仏に心を掛けてお浄土を願う人々は、一人残さずお救いくださる。ということです。今夜は寒気で空も澄みわたっているのか美しい月夜です。自然と見とれてしまいます。