お寺あれこれ 3

皇帝牌「天牌」について
前から、何の疑問もなく開山上人歴代上人と共に天皇様の位牌があり、朝のお勤めの別回向の際に「天皇陛下寶祚、聖化無窮玉体安穏、神武天皇大尊儀、御歴代天皇大尊儀、明治天皇、大正天皇、昭和天皇大尊儀増上御菩提」とご回向をさせて頂いています。学生時代の法要集や加行(道場) の差定集には天皇様のご回向が載っています。現在の知恩院の朝のお勤めには同じようにご歴代天皇様と華頂宮家など知恩院に関係ある宮家のご回向をしています。仏教と天皇家が仏教伝来から深い関わりがあり、京都には御寺泉涌寺や門跡寺院が数多くあり天皇家と関わる行事や法要が現在でも行われています。知恩院も徳川家菩提寺でもあり、また宮門跡寺院でもあり、天皇様のご回向をされることはわかるのですが、当山のような一般の寺院に天皇様の位牌があることがなぜなのか?、調べてみました。当山にある位牌(実は位牌ではなく皇帝の健康と長寿を祈るための皇帝牌)には「中央に今上皇帝聖壽萬安、左に南方火徳星君神、 右に大檀那本命元辰」と刻印があります。中国から宋時代に禅宗寺院に祀られ日本に伝わったこととも言われていますが、明治政府による天皇を中心にした近代国家(富国強兵)をつくるため、神仏分離令や廃仏毀釈を進められたときに多くの寺で作られ本堂の須弥壇中央に祀られました。これを天牌、天皇牌、皇帝牌とも言うそうです。この皇帝牌は天皇陛下の健康と長寿と国家の安泰、世界平和を祈る(寶祖無窮)意味です。その意味から言うと中央だけでいいのですが、右に南方火徳君神が刻印され、その意味は伽藍神に関する神、火の神である。左には大檀那本命元辰が刻印されている。「その意味がよく分からない。」以上のことから三牌とも言われています。当山の場合は、皇帝牌がいつ作成されたがわかりませんが、おそらく明治政府の弾圧的な政策から各宗派の寺院が作成したものと考えられますが。そもそも天皇家は、古来からの神も大切に祀り仏教が日本に伝わってからは仏の教えも受け入れ民衆の幸せと国の平和を願われ、この二つの宗教を国の基盤として神社もお寺も天皇家の宗教儀礼や行事として千年以上保護され行事を続けられました。明治政府の神仏分離令、廃仏毀釈などの政策で多くの仏像や寺院が壊されましたが、神社も同じく明治40年頃には「廃神毀社」で、明治政府自ら合祀の名のもと多くの神社が壊されました。これらは明治天皇さまがやられた事とは考えられません。歴史を知り過去を振り返り今の平和な日本社会に生きる事に感謝することを忘れず、また「諸戦災、戦死病歿、超生浄土 三界万霊有無両縁 乃至法界 平等利益」とご回向をして、世界の平和を願い毎日のお勤めをしなければならないと思っています。最後ですが明治三年善光寺大本願誓圓尼(女性皇族)さまは廃仏論者の藩主松平光則が還俗を進めてきたが、その時代多くの男性皇族が還俗した中、還俗強要を断固として拒否された誓圓尼さまは、つぎのようなことばを残して善光寺をお守りになりました。「身にまとった袈裟衣は取り得ようが、心につけた袈裟衣は取る方法がない。剃刀をもって剃った黒髪は伸ばす事が出来得ようが、心に剃った黒髪はどうして伸ばすことができよう。一度仏教に固く誓った身であるから、たとえ如何なる迫害をうけようようともこの度の仰せには随い得ない。わが身は終生仏弟子として念仏弘通のために捧げよう。」.大法輪「特集天皇と仏教」誓圓尼さまは浄土宗総本山知恩院に善光寺別院、得浄明院を建立。明治三十九年明治天皇に拝謁された折、「法体高年の心がけまことに殊勝の御事」と御言葉を賜れました。

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