お寺あれこれ 20

祇園さん・八坂さん 知ったはりますか

当山では、盆が来る約一ヶ月前から境内の掃除と庭の剪定に取りかかるのですが、毎日掃除をしてますと、正直ため息がでます。来月までには掃除と盆の準備を終了する予定です。住職ができないところを、21日から造園業者が剪定をする予定です。ところで京都では盆の行事というと7月17日の祇園祭りと8月16日の大文字の送り火が有名です。私が本山でご奉仕をさせて頂いていた時に、この祇園祭りの日に、昔、私が若い頃本堂での日中法要が終わり、本堂の内陣西側に八坂神社の方角に祭壇を設け、般若心経3巻称えた事が思い出されます。なぜ知恩院で八坂さんの祭神にお勤めをするのか、疑問を持ちその時に調べた資料(無)、を思い出しながら書きたいと思います。知恩院の下には「祇園」と言う花街がございます。京都の「祇園さん」は、「舞妓はん」や「いちげんさんお断り」等々、友人と食事や飲みに行った事など懐かしい想い出もあります。平家物語には「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」の有名な古文を思い出します。四条通りのどんつきには八坂神社があり、この神社のご祭神は、素戔嗚尊「スサノオノミコト」です。この神は、頭には牛のような角があり、顔は恐ろしい形相でした。この神は、お釈迦様が修行された祇園精舎の守護神で牛頭天王「ゴズテンノー」と言います。またこの神は疫病退治の神でもありました。この牛頭天王は仏教「祇園精舎」の守護神でもありますので、この意味から八坂さんの下町も「ぎおん」と呼んでいます。仏教が日本へ伝えられた時、神道や神社との摩擦が起きないよう「本地垂迹説」が考えられました。これは諸外国にはない神仏習合という日本人の特徴的な考え方のように思います。この八坂さんは、創建については諸説あるようですが、もともとは寺であり、貞観18年に祇園王寺?「祇園寺」、祇園感神院または観慶寺と言いました。興福寺や延暦寺の配下でありましたが、時代の推移と共に幕府の以下ではなく、疫病退治の祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)から祭りの色彩が強くなり都の町衆が受け継がれたようです。この祭りの牛頭天王が天から降りたと言われる知恩院の黒門前の「瓜生石」がありますので、お近くへ寄られた時は、T字型道路「交差道」の中央に瓜生石がありますので、車に気を付けこの石を観て下さい。京都に住んでおられても、ほとんどの皆さんはご存知ではないようです。
明治維新以降、神仏分離令により、慶應4年「感神院祇園社」=「祇園さん」から「八坂神社」=「八坂さん」と改名されました。明治政府の政策の為、牛頭天王と素戔嗚尊は縁が切れて、この八坂神社が「祇園さん」と呼ばれる理由が分からなくなりました。

祇園精舎・鐘の声について

京都の「祇園さん」は、お釈迦さまの祇園精舎の祇園にご縁があるのは、お分かりの事と思います。昔、お釈迦さまのご在世の頃、インドのコーサラ国という国があり国王を波斯匿王(ハシノクオー)とといい、その王子を祇陀(ギダ)王子といいました。この国王は見事な御苑をもっていました。見上げるような大樹がしげり、夏でも涼風が吹き抜ける遊園地でした。王子は国王に頼んで、これをゆずってもらいました。人々はこの御苑を、祇陀王子の樹林を略して「祇陀園林」とか「祇園」と呼びました。
祇陀王子は、あとでお釈迦さまの教えを聞き、すっかり感激して、何かお役に立てて下さい。とこの祇陀園林を献上しました。ちょうどその頃、須達多(スダッタ)という富豪がおりました。彼はお釈迦さまの教えによって長者になれたのです。彼はお礼の心から、この祇陀園林に立派なお寺を建てて、お釈迦さまに住んでいただくことになりました。お寺の建築は、精妙につくられますから、「精妙な屋舎」=「精舎」と呼ばれました。あの平家物語の祇園精舎の鐘の声とは、このお寺「僧坊)のことです。
この僧坊の西北の隅に「無常院」という建物があり、病気や年老いて死期の近付いたお弟子が住んでいました。浄土三部経の中の「阿弥陀経」にはこの僧坊で説かれたお話が書かれています。「一時仏在 舎衛国 祇樹 給弧独園・・・」と訳くされています。この無常院の四隅に釣鐘があり、病僧に臨終が近くなると、この鐘が自然に鳴りました。その一つ一つの鐘の音に、次のような意味が聞こえたといいます。
諸行無常 すべてのものは皆移り変わり変化して止まない。
是生滅法 これがすべてのものが移り変わってゆく免れない法則である。
生滅滅己 この生じたり滅したりすることをすべてなくしてしまい終わったとき
寂滅為楽 煩悩を離れたとき、ほんとうの楽しみの世界が開かれる。
この四つの鐘の音を聞くと、死期に臨んだ僧はたちまち苦しみがなくなり、楽を得て浄土に往生したと伝えられています。そしてこの鐘の音は百億世界に響き、その音を聞いたものは皆苦しみを免れることが出来たと書かれています。今でもお盆にお精霊迎えに行って、鐘を撞くのはこの故事に依っているのです。浄土宗新聞 みほとけ講座(S44)

 

 

 

 

 

 

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