お寺あれこれ 39

法事の供養膳での話し

先日檀家さんのご自宅で法事を勤めた後、供養膳に呼んで頂きました。住職と言うだけで、私の席が上座に用意されていますが、いつも檀信徒の皆様には気を使って下さり有難く座らせて頂いています。たまたま私の周りには私の同年の方達がお座りになったことで、話もはずみ子供の頃に寺の下にある川や農水路で、鮒やナマズなど魚が取れたことや矢田の山へ行きカブトムシやクワガタなどを取ったことなど楽しく話ができ美味しくお膳が頂けました。今の子供たちには経験ができない自然の中で、遊びがいっぱいあった時代です。その頃は遊びの中で、自然の中にも危険な虫や植物(漆)があることがわかったように思います。わたしのこども(長男)も、川や池周辺では危険が多く、地域や学校などでもきびしく規制をされた時代でしたから、山や川など外で遊ぶことはなく、素手で虫が触れないので、大人になっても虫に恐怖心をもっています。また漆の木やどんな蛇がマムシなのかわかりません。そんな親から生まれた、孫たちになると自然との接触がほとんどなく、家の中でテレビやゲームなどで遊んでいますが、たまに寺に来ると、庭で遊んでいるところを見ていますと元気いっぱいに遊んでいるので、これでいいのかなーとも思います。わたしが経験した子供の頃の話を孫にしてやり、一緒に山や川で思いっきり遊びたい気持ちです。ところで、還暦も過ぎた年代の方達の話となると、昔楽しいかった子供の頃の話しや病気のことや年金のことが話題になりますが、今日の年忌に当たっておられたお婆さんも今日の法要に出席された方達のお話を聞かれて、お浄土から私たちを暖かく見守っていらっしゃることと思います。年忌法要を勤めることは、亡き方が阿弥陀さまのお力、お念仏の功徳によって仏(悟り)への道を進むことが経典に書かれています。(増進菩提)。法要では住職とともに読経やお念仏を称え、眼には見えない先祖の方達が多くの命をつないで頂いたことに感謝をして、残された家族や親せきの皆様が数年ぶりに集い「近況の報告、旧交を温め、老いを嘆き、また子孫の成長を喜び、ともにあること」を確かめ合うことが絆を深めることにもなります。また今は家族の関係が希薄な時代ですから、年回法要をご縁に普段疎遠になっていいる方達と会える良い機会です。七回忌、十三回忌と時が過ぎますと、法事を勤めることが何かと大変だと思いがちになります。しかし今の自分が生きているのは、命の継承をして頂いたご先祖があり、またご縁のある方達の支えがあり、この世に存在しています。そのことに感謝して法事を行い共々にお念仏を称え、故人やご先祖の冥福を祈り、自分自身の足元にも念仏の教えを振り向け、とも(供)に養う『何を』=(生きる道)仏の道を養っていただきたいものです。これが法事(年忌法要)でのほんとうの供養ではないでしょうか。(私なりの供養の考え方です。)

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