庭と牡丹

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光忠寺庭園「光楽庭」



設計意図

 庭園は、本堂正面の西側に位置し、道路との境界に設けられた築地塀沿いの境内に作庭されている。本堂前は多くの参詣者が集まり、様々な行事が行われる場所で、心のよりどころとなり、平安の願いを込める安らかな聖地である。そのような場所として相応しい庭園として、極楽浄土と来迎をイメージした石組と植栽で表した。全体の石組は二十五菩薩を意図した配石を行い、本堂正面に大降りの立石で三尊石組(日本庭園の代表的な石組手法で、中央の石を中尊、左右に脇侍と三つの石で仏像を表現する。)であり、石組前に亀石を表した蓬莱石組(中国の神仙思想によって考えられ、不老不死の仙人が住む理想の山、蓬莱、方丈、瀛州の三神仙島で表せている。庭園に取り入れられ、蓬莱島、亀島,一石で表現する蓬莱石が配置されている。)を併せ持った石組構成とし、 参拝者がどこからでも鑑賞できるようにしている。
阿弥陀如来は限りない命と限りない光(智慧)にあふれた仏とされ、阿弥陀の心を信じ楽土に極楽往生を願う心を表した庭園として、光、楽を取りその庭園名を「光楽庭」とした。

浄土庭園
 七世紀前半に日本に伝来した仏教は、十世紀半ば以降、仏教が浄土教という教えを軸にして死後の世界に極楽浄土の仏土への招きがあることを熱望した。そして平安時代半ばから鎌倉時代後期までの三世紀間は貴族階級を中心に浄土教を基に死後の世界をさまざまに考えた時代であった。
 浄土教は、浄土世界を空間に建物と庭園で現出させる空想的造形を生み出したのである。浄土教は宇宙に多くの仏がいて、それぞれ固有の仏土を所有している。そのうち最も代表的なものは薬師如来の浄瑠璃世界と、阿弥陀如来の極楽浄土であった。
 そしてこの浄土には阿弥陀如来とこれに従える観音、勢至の二菩薩がおり、そのもとに有徳の人たちがいる。このように極楽浄土は美しい楽園であると教えるのである。浄土世界を具象した庭園を浄土庭園と呼んでいる。浄土世界を具象する作庭思想は、以降の時代に影響を与えていく。
                        作庭  2005年2月  大阪芸術大学デザイン学科
                                       福原 成雄


花と野草

紫陽花

境内

庭花

つつじも咲きました。

庭花

 

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