概要と沿革

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【概 要】

寺名 寶林山一行院光忠寺 
宗派 浄土宗
教え 所求(しょぐ)阿弥陀仏の西方極楽浄土に生まれることを求め
所帰(しょき)  阿弥陀仏に帰依し
去行(こぎょう) 阿弥陀仏が誓われた念仏を称える 
開祖 法然上人 
本山  総本山知恩院
開山 天蓮社秀譽上人
本尊  阿弥陀仏 

【沿 革】
   形原松平家菩提寺.大樹寺末寺『諸末山由緒書・寛政11年』

光忠寺は一説によると松平家三代信光の子興副(ともすけ)の菩提を弔うために二代貞副(さだすけ)が天蓮社秀譽上人を開山として永正2年(1503)に三河国形原(愛知県蒲郡市)に創建された浄土宗知恩院派の寺院です。形原松平家初代興副の諡号「光忠」が寺号に付けられています。以来形原松平家の菩提所となりました。
 丹波亀山(亀岡)には藩主の領地替えにより、摂津高槻、下総佐倉、摂津高槻、丹波笹山を経て、寛延2年(1749)に亀山城下東雷門そと蟠龍庵(青山家菩提寺)跡に移築しました。
また光忠寺には笹山に11ヶ寺の末寺が残されましたが、光忠寺が引越すことで、末寺が笹山藩主除地となり、「今般就御所替申渡法式」が末寺に申渡され江戸末期まで本末関係が続きました。
 本堂の瓦や仏具にある紋は形原松平家の丸利の家紋です。この家紋は、4代家広が大樹寺合戦の時に
「利即是」の旗を揚げて戦い、あまりにも激しい戦いのため、旗も利の一字を残すのみであったと言われています。子孫がその武勲を忘れないために利の字を入れた丸利を家紋としました。その意味は浄土経典「利剣即是弥陀号」で、弥陀の名号は衆生の罪業を断尽する最上の利剣ということです。
亀山藩主在封から幕末まで120年間、亀山藩主形原松平家の菩提寺として寺門興隆しましたが、江戸時代末期の大火で伽藍は焼失しました。時代の変革により幾多の困難を乗り越え、近年(昭和59年〜平成13年)本堂諸堂の復興ができました。
また当寺は三河大樹寺の24末寺の一ヶ寺です。大樹寺は開基松平親忠、開山勢譽上人以来、松平氏と深い関係を持ち末寺も松平一族の創建によるものが多い。形原松平家の初代興副から五代家忠までは蒲郡市の光忠寺に祀られ、六代から明治維新に至る亀山藩主最後の十八代信正まで亀岡の光忠寺に祀られている。