葬儀・家族葬・直葬1

葬儀に思うこと1  平成27年10月5日

近年、社会の変容と共に、特に地縁や血縁が希薄化し家族制度が崩壊して、核家族が進み葬式も大きく変わってきています。自宅での葬儀が無くなり葬儀会館で多く行われています。多種多様な考えがあり葬式や結婚式の冠婚葬祭にも個性化し簡素化になりました。当寺の檀信徒の方もほとんどが葬儀社での 葬儀であります。以前は自宅葬が主で町内や親戚の協力で事が進み葬式が無事終わりました。各自役割があり「絆」があったように思います。今ではすべてが葬祭業者の指示で、葬式に関わる遺体の処理、運搬、日程の決定、通夜、本葬、その後の中陰の初七日、食事、会葬者のお返しの品等がスムーズに進むが、喪主や亡くなられた方の思いがあるのか、それ以前の問題なのか、喪主の方もそんな余裕もなくその時その時判断を迫られるわけです。葬儀に関わる経費が予想以上にかかる場合が多いようです。また宗教者に渡される布施も様々です。経済的な理由や葬送の自由の多様化が進み家族葬・直葬・無宗教葬・音楽葬・お別れの会等を前面に打ち出す葬儀社も多く「終活」などもマスコミ等で取り沙汰されています。葬式も形骸化し本来の意味が失われています。葬式は死者を葬る一連の儀礼を「葬送儀礼」と言い、略して葬儀と言います。葬儀の「葬」とは遺体の処理もう一つは生きてきた人の死を社会的に知らせる心あるお別れの「喪」の二つの意味があり、またそれぞれの信仰する宗派で厳粛な葬送儀礼が儀式として行われます。浄土宗では枕経でお剃度作法(本来は生前に授戒道場を受け仏教徒として戒名を授ける)をして、阿弥陀佛の西方極楽浄土へ往き生まれるための葬儀です。当寺も長い歴史の中で、檀家制度や慣習に甘んじた事も大きな要因であると深く反省しています。皆様もご自分の事として、夫婦、親子送られる方送る方それぞれが納得のいく葬儀をして頂きたいと思います。生があるならば必ず死が来るのです。法然上人ご法語の中に自然・法爾(動かしようのない自然の道理です)ただひたすらに念仏さえ称えれば、阿弥陀佛の来迎は「動かしようのない自然の道理」であって、疑いありません。「法然上人のお言葉です。」