お寺あれこれ 

昨年の知恩院の華頂誌11月号に「消えゆくお寺。変わらぬ供養の心」と題して、経済誌「日経ビジネス」記者でもあり、また正覚寺副住職である鵜飼秀徳氏の寺院消滅が紹介されました。その記事内容は「日本のお坊さんは裕福だといわれますが、経済的に困窮している寺がほとんどです。私も寺の跡継ぎでありながら記者をしています。日本には7万7千軒の寺があるうち2万軒が無住です。浄土宗の場合は、2040年までに25.2%が消滅する市町村に存在しています。・・・と海外メディア20社以上の前で、日本のお寺の厳しい現状を丁重に説明されたそうです。取材記事はWebサイトに掲載され鵜飼さんの記事は高いアクセスを維持し続けたそうです。また鵜飼さんは北方領土を「ビザなし訪問団」として『墓参り』をひとつの目的にしたビザなしの訪問のみが唯一の現地ロシア人との交流手段です。「供養したいという根源的な心」は時には政治外交も動かしうるわけです。これからも地球全体の共通意識として残っていくはずです。しかし、お寺の現状に対しての記者らしい分析と批判として、取材の締めとして「世の中、必要なものは残ります。お寺だからという特例はありません。僧侶が怠慢であれば滅びても仕方ありません。個人的には宗派をあげて人材を掘り起こし民間の知恵も集約していく必要があると思います。・・・・と書かれていました。私が知るところ現在浄土宗寺院統計「平成27年4月現在」では総寺院数7058ヶ寺の登録寺院があります。5537ヶ寺が正住職寺院(住職がいるお寺)です、1366ヶ寺が兼務住職寺院(住職がいないか何らかの理由があり他の寺院の住職が兼務している寺)です。無住寺院(住職がいない寺)が155ヶ寺です。正住職寺院5537ヶ寺の半数が寺だけの収入では維持管理ができず住職が他に兼職を持ち働かれています。私が思うところ地方の大半の寺院は経済的に余裕などありません。当山も形原松平家菩提寺として由緒はあるのですが、時代の流れというのは厳しいものです。明治になり藩主の寺でありますが、檀家が無くその後住職がいない時代や兼務住職が入られた事が記録があり、昭和6年に祖母がこの光忠寺に入りその後戦後に先代である私の父が住職を継いだわけです。わたしが幼い頃はわらぶきの庫裡(住職の住まい)があり、本堂がなく住職の住まいの中に12畳の部屋を本堂として使い阿弥陀さまが祀られていました。雨が降ると天井から雨が漏れバケツを持ち走り回った思い出があります。私には姉弟4名いましたので、長男の私が住職を継ぐことになりました。過去の資料を見てますと、特に明治から昭和6年頃までは住職もいなく檀家総代が建物と境内の管理や法事や葬式があれば、お願いをする寺院の住職に連絡をしていたようです。光忠寺は檀家も少なくいくどとなく寺院存亡の危機がありましたが、関係寺院の住職や檀信徒の皆様のおかげで今の光忠寺があるわけです。しかしいくら本堂が新しくなり境内が整備されても、檀信徒の皆様が仏教を学び教えを実践され、その教えが人生に生かさなければ無意味なものになります。私も還暦を過ぎ残された人生は、あと何年かわかりませんが、気力体力が続く限りお念仏を称え住職の勤めを果たさなければと思っています。今年は住職として寺の色々な出来事をブログに・・・お読み下さい。