お寺あれこれ 9

気づいたこと

今日は、檀家さんのお葬式やその他法要で、山門横の駐車場から車を出すことがありました。お参りから帰ってくると、妻がお若い奥様が血相を変え、衣を着た人に私の子供が引かれそうになったのに、そのまま車を発信して出て行ったことに、憤慨され怒り心頭で、玄関まで怒鳴りこんで来られたということです。妻は事情が分からずただただ謝ることしかできなかったとのことです。私も思い出してみますと、初七日のお勤めに出かける際に、駐車場からバックで車を出す際に、いつものようにバックで車を出し山門前に車を移動していたら、一人の女性が私の方をじっと見ていらっしゃるので、周囲に子供がいるのでは、と思いもう一度車を前に戻し、周囲を見渡すと小さい自転車に乗った3歳ぐらいの幼い女の子が、運転席後方右側に確認できたので、その子がお母さんの方へ行き、私の車から離れたので、安全と思い、そのまま初七日のお勤めに出かけました。その後寺に帰ってくるまで、この事は私自身はわからなかったわけです。交通事故にはいつも注意をしていた私が「幼い子供を引いていたら」と思う恐怖心と、もう一つは「自分は絶対にそんな不注意な運転はしていない」という思いの慢心がありました。しかし私にもかわいい孫がいるわけです。当山の境内から道路に出て孫と散歩をする際は、絶対に孫の手を離さす握りしめて、孫を見てるわけです。私は私で、幼い子が、なぜ自転車に乗らし交通量が多いところで母親が、子供から離れて見ておられたので、不思議に思ったわけです。危ないのであれば、すぐに子供に走っていき危険から子供を守るのに、そういう様子もなく、ただ私の顔を見ておられたので、私もその方(母親)を見ていましたが、「何らかの意思表示である」とその時私も感じていました。私が子供さんを確認するまでに、現実に危険な状況を作ったのであれば(バックモニターで確認している)、ご心配をかけた事になります。私も還暦を過ぎ、運転に必要な反射神経や注意力や運転技術が低下したことを自覚することが、何より今の私に必要な事であります。その事を、その若いお母さんが教えて下さったように思います。私には危険運転をした認識はございませんが、事実であればご心配とご迷惑をおかけしたことを深くお詫び致します。何よりも子供さんに怪我がなかったことが幸いです。有難い事です。阿弥陀さまの変わりに、「その若いお母さんが私に注意をして下さったこと」と思います。何よりも自分自身で、危険な状況であったことがいまでも認識できません。なによりも怖いことです。この事を肝に銘じてハンドルを握らなければ、いずれ交通事故の加害者や被害者になってしまいます。若い頃から運転が好きで、これから「妻と車で旅行でも」と考えていた矢先の事です。まだまだ車を利用した寺での勤めと生活をしなければなりません。でもいつかは時期(運転する自信がなくなれば)がくれば運転免許を返却することとなるでしょう。