お寺あれこれ 40

年忌法要で聞かれた事

1.「塔婆の上部に書かれた文字はなんですか?」 悉曇(しったん=当時の書体のこと)梵字(ぼんじ=印度の文字)です。
先日、檀家様の法事が終り、墓参りの帰りに、塔婆の上に書いてある字は、「何ですか」という質問がありました。漢字でもなく見慣れない字ですので、今までにも檀家さんから一度だけ聞かれることがありました。私が「インドの古代文字で、サンスクリット語なんです。」と言っても筆問されたご本人は何が何だかわからないようです。《十分な説明もできず》私も梵字(サンスクリット語)で空(キャ)風(カ)水(ラ)火(バ)地(ア)で宇宙のすべてを作る五大元素あるということと、また塔婆のもとは「お釈迦さまの仏塔(ストゥーパ)から始まった」ということぐらいしか知識がなかったので少し調べてみました。
お釈迦さまのご遺骨を最初は八等分に分け八基の仏塔に安置されました。その後インド各地に多くの仏塔ができ人々がお釈迦さま自身として礼拝するようになりました。もともとインドでは、塔は天と地を結びつける軸を意味し、仏塔も同様に天なる宇宙と地上のお釈迦さまの舎利(ご遺骨)を連結する場として礼拝したようです。紀元前二世紀にたてられたというサンチーの仏塔は、円形の基壇の上に伏鉢をつくり、そこに平頭を置き、その上の竿に傘蓋をたてた。この竿の部分が中国や日本に見られる五重塔上の相輪で、宝珠、竜車、水煙、宝輪、請花からなり、それぞれが空風水火地という宇宙をなりたたせる五大元素を象徴しています。そして、これから、五大元素に相応する方・円・三角・半月・宝珠の形をした五輪を重ねた五輪塔に発展しました。五輪塔は五輪塔婆ともいい、石造りから次第に角塔婆や板塔婆となり、現在みられるような細長い板の上部を五輪塔の形に刻まれた塔婆となりました。その上部の部分に書かれているのが今回問われた文字で悉曇梵字と言います。この文字は古いインドの文字の中六世紀頃できたもので、弘法大師が中国から日本に伝えられたものです。書かれている内容は悉曇梵字(サンスクリット語の変形)で五大元素を表す「キャ・カ・ラ・バ・ア」という種子(しゅし)を書き、その下に故人の戒名を書き、追善のために墓にたてるようにまりました。(五大元素以外にも梵字を記しますが、宗派によって梵字が異なります。浄土宗ですと阿弥陀仏ですから種子字はキリークです。)
以上長々と書きましたが、まとめると今回筆問された塔婆の文字は「悉曇梵字」ということになります。梵字とは梵語(印度の言葉)を書く字という意味です。塔婆の上から「キャ・カ・ラ・バ・ア」と読み「空・風・火・水・地」を表す種子なのです。種子とは、くわしくは種子字といいます。字から意味や功徳が発生するのが、ちょうど植物の種に似ているとの意で名付けられました。ですから仏、菩薩、その他の事物を表現する一種の符号のようなものです。宍戸先生の資料
2.一枚起請文中の尼入道とは、どういう意味ですか。
私の理解する「尼入道」は、尼僧であるが、形だけの出家者だと思っていましたが、ある資料には、在家のまま髪をそって、仏道にはいり(在俗の生活を送っている)男女。と説明がありました。その部分だけを取り上げますと、「お念仏の教えを信ずる人たちは、たとえ、お釈迦さまが生涯をかけてお説きになったみ教えをしっかり学んだとしても、自分はその一説も知らない愚か者と自省し、出家とは名ばかりでただ髪を下ろしただけの人が、仏の教えを学んでいなくとも心の底からお念仏をとなえているように、決して智慧あるもののふりをせず、ただひたすら念仏をとなえなさい。」と現代語訳されていました。てらこやブックスより
筆問された方はお若い女性でしたが、私自身が勉強になりました。

お寺あれこれ 39

法事の供養膳での話し

先日檀家さんのご自宅で法事を勤めた後、供養膳に呼んで頂きました。住職と言うだけで、私の席が上座に用意されていますが、いつも檀信徒の皆様には気を使って下さり有難く座らせて頂いています。たまたま私の周りには私の同年の方達がお座りになったことで、話もはずみ子供の頃に寺の下にある川や農水路で、鮒やナマズなど魚が取れたことや矢田の山へ行きカブトムシやクワガタなどを取ったことなど楽しく話ができ美味しくお膳が頂けました。今の子供たちには経験ができない自然の中で、遊びがいっぱいあった時代です。その頃は遊びの中で、自然の中にも危険な虫や植物(漆)があることがわかったように思います。わたしのこども(長男)も、川や池周辺では危険が多く、地域や学校などでもきびしく規制をされた時代でしたから、山や川など外で遊ぶことはなく、素手で虫が触れないので、大人になっても虫に恐怖心をもっています。また漆の木やどんな蛇がマムシなのかわかりません。そんな親から生まれた、孫たちになると自然との接触がほとんどなく、家の中でテレビやゲームなどで遊んでいますが、たまに寺に来ると、庭で遊んでいるところを見ていますと元気いっぱいに遊んでいるので、これでいいのかなーとも思います。わたしが経験した子供の頃の話を孫にしてやり、一緒に山や川で思いっきり遊びたい気持ちです。ところで、還暦も過ぎた年代の方達の話となると、昔楽しいかった子供の頃の話しや病気のことや年金のことが話題になりますが、今日の年忌に当たっておられたお婆さんも今日の法要に出席された方達のお話を聞かれて、お浄土から私たちを暖かく見守っていらっしゃることと思います。年忌法要を勤めることは、亡き方が阿弥陀さまのお力、お念仏の功徳によって仏(悟り)への道を進むことが経典に書かれています。(増進菩提)。法要では住職とともに読経やお念仏を称え、眼には見えない先祖の方達が多くの命をつないで頂いたことに感謝をして、残された家族や親せきの皆様が数年ぶりに集い「近況の報告、旧交を温め、老いを嘆き、また子孫の成長を喜び、ともにあること」を確かめ合うことが絆を深めることにもなります。また今は家族の関係が希薄な時代ですから、年回法要をご縁に普段疎遠になっていいる方達と会える良い機会です。七回忌、十三回忌と時が過ぎますと、法事を勤めることが何かと大変だと思いがちになります。しかし今の自分が生きているのは、命の継承をして頂いたご先祖があり、またご縁のある方達の支えがあり、この世に存在しています。そのことに感謝して法事を行い共々にお念仏を称え、故人やご先祖の冥福を祈り、自分自身の足元にも念仏の教えを振り向け、とも(供)に養う『何を』=(生きる道)仏の道を養っていただきたいものです。これが法事(年忌法要)でのほんとうの供養ではないでしょうか。(私なりの供養の考え方です。)

お寺あれこれ 38

私住職も一週間前から墓・境内・庭を掃除していますが、今日は婦人会で朝から本堂・諸堂の掃除をいていただきました。
掃除のあとは、 年一度の楽しい食事会皆さん美味しく頂かれました。婦人会の皆さん掃除ありがとうございました。

お寺あれこれ 37

祖山恩師との夕食会

私が先代老僧から住職を継承したのは、今から40年前の昭和53年でした。私が本山に奉職をして2年目です。何も社会を知らない私が、父(老僧)の言うがままに光忠寺の法灯を引き継ぐことになったわけです。父は私の将来を心配して少しでも早く寺の法務ができるよう知恩院に奉職させたのは、父の親心であったように思います。なんとか35年間本山での奉職を終え7年前に退職をさせて頂きました。職場でのいろんなできことがあり、色々と楽しいことも苦しいこともありましたが、長い奉職中には善導大師千三百年遠忌、三上人遠忌、法然上人降誕会、法然上人八〇〇年遠忌を本山職員として参加できたことまた元祖さまのもとで、念仏が称えられたことが今となってはなによりの想い出であります。奉職中は職員の皆様の支えもありなんとか職務を終え退職させて頂いたように思います。昨日その恩師の方が、九州の福岡から本山にご用事で京都に来られて、私たち夫婦を夕食に誘って頂きました。ともに楽しい夕食をすることができ懐かし想い出話や近況の報告ができました。今思いますと、私は寺の子として育ったわけですが、特に志す信仰心もなく親の言う通りに僧侶の資格を取り住職になりましたが、その方は、農家の七人兄弟の末っ子で、町役場に就職をされたそうですが、ご両親の反対を押し切り、役場を退職され人生に悩み苦しまれて、お釈迦さまの教えに出会い、禅宗寺院の道場に行かれましたが、ご縁があって、長崎の浄土宗の寺でお念仏の教えに巡り会われて3年間、続いて京都知恩院で7年間修業をされてから、福岡久留米の寺の住職をされています。その恩師は在家から出家された住職さんで、私にはない熱き信仰心と祖山を思う方で若い頃と変わらずご自分の人生を一直線に歩んでおられるのがうらやましい限りです。今はお互い年を重ねて、いつ何時の命かわかりませんが、なにかとお互い心配をしながら再会を誓い別れをおしみました。住職と言うと定年はないわけですが、住職は年を取るほど味が出るとよく言われるが、そうでしょうか、若いから味が無いわけでもないし、年を重ねているから味があるわけでもないのです。寺の住職として、世間からの見方も捉え方も個々にちがいますが、住職の勤めは本来仏教の教えを伝え説くことです。「人々の苦しみや悩みをどう乗り越えるか」その智慧を自他共に学び進め「仏の道」を説くことが一番の勤めです。しかし現状での寺の勤めは永い歴史の中で、葬儀や法要の先祖供養が主な勤めとなっています。もちろん大切なことです。明治以降僧侶・住職も妻帯が許されました。この為、寺に住職と寺族が生活ができるようなり、本来の修行道場としての規律を守っていた住職と弟子たち僧侶の寺(サンガ)が、近年時代の急激な変化に流され、住職しての勤めをせず生業と成り果て、寺族の生活の場となり私物化が進み社会的信用もなくなり今に至っている事と思います。但しすべての寺の住職さんや寺族が該当することではなく、私自身の事「反省」も含め、仏教情報誌や私が持つ総研叢書(「僧侶、いかにあるべきか」発行浄土宗)等から「寺が社会問題として取り上げられている寺や僧侶と住職」を指します。こういう時代ですから、住職・僧侶の方が再度仏教を学び人生に生かさなければ檀信徒の皆様や社会の人々に布教し説くことができません。法然上人の教えである称名念仏を実践し、安心して気楽にお念仏が称えて頂けるような寺にしたいものです。最後に「浄土宗の僧侶の養成は、教団が行うべき活動のなかで、もっとも重要なものです。宗学を学び、人々を教化し、次の世代に宗学を伝える。このような役割を担うのが僧侶ですから、その養成が教団にとって極めて重要であることが理解できる。僧侶の養成にあたっては、養成の目標となる僧侶像が必要になります。浄土宗の僧侶は、往生浄土を目的(所求)とし、阿弥陀一仏を信仰の対象(所帰)とし、その目的を達成するために称名念仏の一行を行ずる(去行)者であります。」と「僧侶、いかにあるべきか」冒頭に書かれています。時代の流れにややもすれば流されてしまう私たちですが、変えてはならない宗教的側面や儀式作法は自ら学び次の世代に伝え、対応すべき社会変化に柔軟に対応できる僧侶や住職が必要とされる時がきているように思われます。

お寺あれこれ 36

お釈迦さまの教えに諸行無常、「すべてのものは移り変わり変化してやまないこと」、諸法無我、「われがないこと」、一切皆苦、「すべてのものは苦である。」仏教の基本となる教えがありますが、私たちはそのことに気が付かず、この世は無限であり、自分の財産は永久に自分のものとばかり、人生を自分勝手に生きているのです。「自分のもの」という我に執着し、我執から離れなれないのがわたしたち人間です。すべての存在は縁起しているから、無常であり、常に生じ滅しているから、永久に自分の所有物はありえません。頭ではわかっていてもいざ自分の事となると私も死ぬまで欲望があり煩悩が消えることはないと思います。若い頃、執事長に「日暮れ腹暮れではだめだ」と言われたことをなぜか最近思いだしています。私も毎日を徒食に終わることなく寺の住職の勤めに励み念佛に称え、反省の毎日であります。今日も強い寒波で当山から見える愛宕山が白い雪化粧で美しい山容を見せてくれています。庭には白梅と老梅が咲いていますが、昨年剪定の時に、枝を切りすぎ花芽がすくないようです。本堂前にある一本のしだれ紅梅が来週くらいから咲始ますので、近くの方は気楽に見て頂ければと思います。今日も夕方6時頃まで明るくなり、日一日と春が近づいてますが、暖かい日が待ちどうしいです。東の夜空には明るい満月が出ています。法然上人作の「月影の いたらぬ里は なけれども、ながむる人の 心ぞすむ」を思い出します。この御詠歌は、浄土宗のお勤めのお経に攝益文「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の心を歌ったものです。意味はみほとけの慈悲のみ光りは、全世界に隈なく及んでいるものであって、お念仏に心を掛けてお浄土を願う人々は、一人残さずお救いくださる。ということです。今夜は寒気で空も澄みわたっているのか美しい月夜です。自然と見とれてしまいます。

お寺あれこれ 35

それにしても今は年間で最も寒い時期です、外に出て用事をすませるには何かと勇気がいります。先月の雪が降る前に、庭全体の樹木には肥をやりましたが、まだ牡丹の花壇にはやっていません。気になっているところです。それと今日の午後からは墓に供えられた生花を集め処分をする予定ですが、それにしても近年、境内や庭にはいろいろな小鳥がきています。私は小鳥の名前までわかりませんが、何種類かの小鳥が庭に来て南天の実などを食べています。小鳥を見ているとかわいいものですが。この時期になると、庭の苔を鳥が突っつき修復ができないほど無茶苦茶します。また境内墓地の墓碑に糞をかけ汚しています。これが少しであればいいのですが、墓碑全体に糞をかけどうしょうもない状態です。また私が育てた畑の野菜も葉を食べ散々です。まあ仕方ない事かもしれません、私たち人間の一方的な考えであり、鳥や動物も自然の中で生きているのです。自然は人間だけのものではありません。人間と動物の共存共栄が言われていますが、それを身近に感じた今日この頃です。今月は、お釈迦さまが亡くなれれた忌日、2月15日と伝えられています。当山は今月25日に涅槃会を別時会と併修致します。2500年前遠い昔にインドでどのように仏教が開かれて、浄土の教えや念仏が始められたのか、限られた本からはなかなか知ることはできませんが、この年になって興味をもてるようになりました。当山では別時会と合わせて涅槃会を奉修いたします。檀信徒の皆様のお参りをお待ちしています。

お寺あれこれ 34

年末年始は暖かく檀信徒の皆様のお墓参りが例年より多くお参りになったようです。また年始の挨拶も今年は少し多かったようです。とは言っても当山の場合は、約15件ほどでした。そのうちの半数以上の方が、護持会などの会費納入の為に合わせてご挨拶にこられました。昨年の年末大掃除に本堂の周りの濡縁を雑巾で拭いていますと表面の板が反り雨風や日光で、経年劣化の為、傷むのは仕方ないことですが、本堂を建て直してまだ22年でこんなに傷むものか、数年前に防腐剤を塗りましたが、効果はいま一つでした。気になっていましたので、今回は私住職が気にいった防腐剤(キシデラコール)を購入して、2〜3回重ね塗りをしました。今年は諸堂の木材部分も塗りたいと思っています。わたしのできるところは自分でしたいと思っています。出来ないところは、総代さんと相談して対処していかないと放っておくと思わぬ出費になり大変になります。またこれからは庭木に肥をやり、牡丹の苗にも肥をやらなければなりません。もう庭には紅梅・白梅のつぼみが付き華が咲きかけています。楽しみです。昨年はしだれ紅梅は3月に咲いていましたが、今年は2月中頃には咲くかもしれません。?このブログでお知らせします。話しはかわりますが、昨年は檀信徒の方で、3件墓整理等の相談を受け、実際に墓を整理されて、3件とも永代供養場墓に改葬されました。またご自分の葬儀について、私住職に相談し自分の考えをまとめられ、それをご子息に伝えられたそうです。ご自分のエンディングノート浄土宗版「縁の手帖」を活かしまとめられているようです。(昨年の春彼岸法要で檀信徒の皆さんに配布する)残念ながら「縁(えにし)の手帖」を書かれている方は檀信徒の皆様には配布はしましたが、実際に書かれている方は少ないようです。実際自分自身が葬儀の喪主になると、非日常的な空間であり慌ただしい中、自分の考えもなく業者の言うがままに、推し進められた形だけの葬式になってしまいます。元気な時でないとできません。実際に見積をとることも大切なことです。檀信徒の中で一人でも、実際に行動された方がおられたことは、私住職としてやりがいがありました。この「縁の手帖」はご本人と家族(夫婦・親子)と寺や住職との会話の機会にして頂く手帖でもあります。どうぞわかるところから書き始めて下さい。わからないところは住職にご相談下さい。