お寺あれこれ 103

師走
庭の樹木の葉も散りはじめ、一雨ごとに寒さが身に染みる季節になりました。いつのまにか師走となり、年末の大掃除や新年を迎える準備などなにかと気忙しい日々です。今年の春ごろから腰を悪くし散歩ができなく身体がすっきりしないのが一番の悩みです。日々おしよせる老いには勝てません。何年か前に、知人に送って頂いた本を思い出し、読み返してみる、その中に、どんなに元気な人でも、「寄る年波には」勝てず、根気がなくなってくる、年と共に、心身の疲労に投げ出してしまいたいこともある。(自分自身が今この状態である。)
「老後を想う」として、生活のリズムをくずさず、一日を十日と考え、生活のリズムを失わないように、お念仏の中、落ち着いておおらかにすごしたいものである。また『法句経』には「頭が白いからといって、それだけで長老とはいえないただ年をとっただけならば、空しく老いたというにすぎない」と人生は「はかないものである」と、よく言われますが、晩年の一日一日を有効に生かすための努力と工夫が大切であります。(略)
  今年も空しく一年が過ぎようとしています。この本を読んでいると、自分のいたらなさを感じ反省するところです。昔、わたしが若い頃、本山の執事長に君たち「日暮れ腹暮れではだめだ」と日々の生活を叱られた、この歳になれば叱ってくれる人がいない。
日々の生活に追われ、物事を後回し、そのうち、そのうち、といいながら結局なにもしない。その日も暮れてしまう。
 空しく年を老い、その人生が終らないようにするために、人生残り限られた時間をどのように使うか、でその人の価値が決まるのです。法然上人の御法語(登山状)に「仏法流布の時に、うまれて生死解脱のみちをきく事をえたる。しかるを、今、あいがたくして、会うことを得たり、いたずらにあかし、くらしてやみなんこそ、かなしけれ」と、ありがたいお念仏の教えがあるのに、それなのに、念仏を申さず、いたずらに月日をすごしてしまうことは、まことに悲しいことです。とお示しくださっています。
 今年も残り少なくなりましたが、その日に出来ることは後に回さず、あせらず、生活のリズムを整え、念仏の中一日一日を大切に過ごしたいものです。19日は年末の大掃除です。総代役員さんと有志の檀信徒の皆さんご参加下さいますようお願い致します。