お寺あれこれ 32

年末あれこれ
この時期になりますと、(13日は事始め。ところによっては8日)正月の準備に入りなにかと気忙しい月になりました。師走とは法師(僧侶)も走り回るほど忙しいという意味です。私たち住職は、人には偉そうなことを言っていますが、用事を後回しにして年末になって「あれこれ」と泡を食って走り回るという僧侶にとって実に耳の痛い話です。またこの月はお歳暮の時期ですが、今では、普段お世話になっているに方々に送り、また頂戴していますが、本来は盆と正月はともに先祖を祀る儀式の日であります。昔は私たち自身が仏壇(祖霊)にお供え物を供え、父母に贈り物をして感謝をしたそうです。現在私たちが中元や歳暮をしているのは、本来の意味や感謝を忘れ、「職場の上司や世話になっている方々」に対して、の贈答になっていますが、本来の意味は、父母や先祖さまに感謝の思いを表したものが「お中元」や「お歳暮」です。今でも地方では大晦日の夜「みたまの飯」をお仏壇に供える習慣が残っています。
餅つきやすす払いも都会ではほとんど見ることができなくなりました。餅つきは、私も子供が喜ぶと思い家族で、子供が成長(高校生)するまでやっていましたが、忙しい時期に後片付が大変なので、今ではしていません。1年の埃を落し、すす払いの代表的な行事では知恩院のお身拭い式が有名ですが、当山では、例年12月中頃に本堂諸堂の年末大掃除を檀信徒総代や婦人会の皆様と共にしています。25日のイエス・キリストの降誕祭であるクリスマスは、宗教的な意味合いは別として、戦後特に盛大なイルミネーションのイベントやケーキ店の商法合戦が行われる国民的行事の一つになりました。世間では、子供たちとともに食事をしてケーキを食べるのも家族の楽しいひと時です。これも日本人独特な「受け入れる」習合してしまう文化かもしれません。このクリスマスが終るといよいよ本堂や諸堂の正月の飾り付けです。門松と注連縄です。門松は先祖の霊が来て駐まるところ憑代として、松など葉があることが大切な条件です。注連縄は門や玄関に飾り付けをしますが、これも清浄な区画を意味し祖霊や神事が行われる地を意味します。仏教で言うところの道場結界です、実は縄は仏教からでたものです。鏡餅も注連縄と同じで霊魂が降りて宿る依代(よりしろ)です。庫裡玄関に年回表をはり、仏さまに花を供え墓や境内を掃除して晦日(30日)と大晦日は忙しいです。昔は宮中では大晦日の日に追儺(ついな)の式が行われていました。鬼やらい、豆まきをして人間の悪い所を追い払って新しい年を迎えました。この行事が現在では節分になりました。例年すべての正月の準備ができたところで、今年最後の本堂でのお勤めをして、隣寺の除夜の鐘を聞きながら、(紅白歌合戦を見て)年越しそばを頂き新年を迎えています。大晦日の除夜については、古来から諸説ありますが、その代表的な書物『日本歳時記』には先祖を祭り、家族が一年中無事にすごせたことに感謝し宴を開いたことが記されています。私は百八煩悩を除く夜であるから除夜と思っていました。また古い年を除く日、除日の夜とも言われています。いづれにしても、一年最後の夜でしめくくりとして、過ぎ去ったこの一年を反省し、なにごともなく一年間、自分を支えてくれた家族、友人知人に感謝し、阿弥陀さまの慈光をいただき、先祖様にも感謝して念佛精進して新しい年を迎えたいと思います。

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