お寺あれこれ 84

寺での自粛生活のひととき 1

コロナ感染防止による自粛生活で、私も普段できない過去帳の整理や軸の虫干しをしていました。特に以前から気になってました歴代上人や寺の資料の確認や形原松平家藩主の歴史に伝承する資料から、改めて寺と松平家の歴史が伝えられなく風化したものが、あまりにも多くあり、残念でなりません。私も若い時は、何も考えず、虫に喰われた埃まみれの「歴代住持がまとめられた自筆」の八宗要綱等の経典や注釈書や寺の日鑑がありましたが、本堂建築の際に処分しました。せめて研究をなさる学者の方に見て頂いてから、と今になって後悔が残ります。何も知らないということは、恐ろしいものです。
最近、僧侶の派遣業者と思われる方から、電話があり、檀家以外の葬儀をされているか、という問い合わせのである、詳しく内容は聞かず、即座にお断りした。どのような業者の方からもわからず、電話一本で葬儀のことを話すことはできません。しかし個人で、お困りの方からの問い合わせや相談があれば、できれば寺に来て頂いて、お話を聞いています。
墓の相談も同じである。両親・ご先祖や自身ががお入りになる光忠寺境内墓地であるならば、阿弥陀仏に対する信仰があり、ご両親や先祖に対する感謝を持ちお参りし供養していただきたいものです。そうでなければ、いきつくところは墓所の墓場になるか、近年電車の荷物台に置き忘れられた遺骨が多々あるそうです。それと変わらない状況であるならば、置き捨てられた墓所(遺骨)ではないでしょうか。せめて自分が元気な内は、お参りしていただきたいものです。
ここ最近問い合わせやご相談がありましたが、できれば同じ宗派の寺院で探されるか、宗派がなければ、宗派問わずの大きな霊園をすすめしました。(葬儀の導師は葬儀社から紹介された僧侶・住職であるという)
寺へ来て住職と話さなければならない、煩わしさを考えると、メールや電話で自身の要望や答えが得られる、またその後も煩わしい関係も持ちたくない現代人にとっては、利便性や効率性や経済性のみで、葬儀や墓所までが判断されるのである。しかし、私が今まで見てきた限りでは、こんな方は供養も長続きはせず、間に合せの告別式であり、葬儀の意味も深く考えることなく、自身がどこから生まれ、どう生き、どこへ死んでいくのか、自身に問われたことはあるのでしょうか、ご先祖から受け継がれた墓も無縁墓になる方が多いのです。例え寺の永代供養墓に永代供養し納骨されても、供養された人、供養した人、供養の心は、永遠に必要なものです。
新型コロナ感染により、多くの尊い命が失われました、心からお悔やみを申し上げます。新型コロナ感染で亡くなられた方は、臨終にも身内の方が立ち会うこともできず、葬式もできないニュースが報道されましたが、心が痛みます。またニューヨークでは多くのご遺体が冷凍トラックに詰められた状態のことが報道されました。また離島に埋葬所が掘られられ、一度に何十体という遺体が土葬で埋葬されるところが写っていました。ショッキングな映像でした。埋葬される方にも、それぞれに人生があることを思うと、改めて心が痛みます。私にできることはなにもありませんが、本堂での朝のお勤めで、亡くなられた全ての方々にご供養をすることです。南無阿弥陀仏





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