お寺あれこれ 102

縁でほっと一息

今日は文化の日ですが、寺では法事があり、庭木も彩り落ち葉が気になる季節になりました。コロナ禍の中、寺の本堂で法事を行われた。百回忌、五十回忌、二十七回忌、二十三回忌を一座の法要で勤め、ご当家の皆様も参列の皆様もめったにお参りできない年回法要にお参り出来て、有難いことです、と喜んでお帰りになりました。
皆さんで念仏を称え、喜んで法事をして下さることは、住職にとっても有難い法事でした。
 昨今、葬式や法事は利便性や効率性で、「時代の流れ」と、一言で「簡略化」され片づけられます。ほんとにそれでいいのですか、この自分はどこから生まれ、どこへ死んで往くのか、この世に生まれたのは親の縁である。また親の縁ということは、多くのご先祖の継承がなければ、今の自分は存在しないわけです。またこの世においても、多くの人々のご縁がなければ、「この世」では、生きていけないのです。死んでからもどこへ死んで往くかわからないと、不安で死ぬこともできない。死ねばやはり両親とも、友人とも、兄弟とも会い、この世での想い出話をしたいものです。
 そう考えると、葬式や法事は人生の大切なふしめの行事ではないでしょうか、死んだら終わりではなく。死んでからも、「この世」と「あの世」とのご縁を結ぶことができるのは、私たち人間の「こころ」だけです。こころは時間や空間・場所を超え、思いをめぐらすことができます。
 今日は、法事を終え、ほっと一息、縁側で日向ぼっこをしながら、庭を眺めています。祖母もよく手仕事をしながら日向ぼっこをしていました。月日が経つのは早いものです。


 



  
  

 

 

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