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お寺あれこれ 107

今日は天気がいいので、朝から草引きをしました。彼岸前に境内・墓・庭と寺庭(妻)と二人でしましたが、雨が降り、暖かくなるとあっという間に、草が伸びほうだいです。彼岸会は住職と総代役員さんの約10名程でさせていただきました。ここ最近、新型コロナウイルスも感染が落ち着いてきましたが、夏の盆までには年中行事も普通の状態にもどせるのではないかと思っています。
最近テレビのニュースでは、毎日ウクライナの惨劇が伝えられています。平和で美しい文化の街が、ロシア軍のロケット弾で、一瞬にして色がなくなり灰色の焼け焦げた廃墟となり、老人や女性や子供たちが泣き叫ぶ姿がニュースとして流れますと、心が痛くなります。この21世紀にこんな理不尽なことが行われることに憤りと怒りを感じます。国連も国際裁判所もどうすることもできず、仮にプーチン大統領を戦争犯罪者と確定しても、ウクライナのお年寄りや子供たちの尊い命が奪われ続けます。
 私に出来ることは、念仏を称えることしかできませんが、一日でも早く世界が平和になるように祈っています。桜は満開美しいですが、心は晴れず、戦争で亡くなられた方達のご冥福をお祈りします。

  同称十念
       南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
       南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 

お寺あれこれ 106

梅が満開になりました。

お寺あれこれ 105

散歩
腰の状態もよく、ここ最近はいつものコースをやすみやすみですが、歩いています。新型コロナオミクロン株の第六波感染拡大が止まりません。寺の行事も本堂で檀信徒一同が集まり、お念仏を称えることができませんが、コロナ禍になり、行事や法要も地域別に時間差をつけお参りして頂いて、自分のご回向と焼香が終れば、帰って頂く形式をとっています。しばらくこの形式で彼岸会や盆施餓鬼会も予定をしていますので、宜しくお願い致します。
今日は節分の日であります。コロナ禍になり、孫の顔もほとんど見ることがなく、私の生活も静かなものです。コロナ感染が収まれば、また寺にもよってくれると思います。夜住職一人で、追儺式(節分)のお勤めを致しました。本堂でのお勤めも寒さが身に堪える年になりました。明日は立春です。庭には紅梅と白梅の蕾がふくらみ花咲く頃となり、春が近づいています。2月15日の涅槃会あたりが満開だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お寺あれこれ 104

新年明けましておめでとうございます。

昨年暮れには、総代役員さんと有志の檀信徒の皆様による本堂・諸堂と境内の大掃除をして頂き大変美しくなりました。住職・寺族だけでは、なかなかすみずみまでできません。寒い中ご協力いただきました皆様方ありがとうございました。一昨年の大掃除は中止ですから、久しぶりに掃除後、皆様とご一緒に本堂でお勤めができよかったです。

海外では新型コロナウイルスの変異種、オミクロン株が大感染と猛威を振るっています。日本も首都圏や大都市周辺でじわじわと市中感染が拡がっていますので、ここ最近、気は緩みがちですが、マスク、手洗い、うがい、混み合ったところは避けたいものです。日本はまだそんなに拡がっていませんが、安心はできません。

今年も当寺では修正会を1月3日に努めますが、感染状況を見ながら、今月末には御忌会と別時念仏をご案内したいと思います。この2年間本堂で檀信徒の皆様と一堂に集まり念仏ができない状況は残念です。2月には涅槃会、3月は彼岸会とコロナ感染が終息できた中で、ご案内ができることを願っています。今年もどうぞよろしくお願いします。

    元旦 本堂と諸堂お参りしました。ご遠方の方、お参りのできない方 本堂の阿弥陀さまです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お寺あれこれ 103

師走
庭の樹木の葉も散りはじめ、一雨ごとに寒さが身に染みる季節になりました。いつのまにか師走となり、年末の大掃除や新年を迎える準備などなにかと気忙しい日々です。今年の春ごろから腰を悪くし散歩ができなく身体がすっきりしないのが一番の悩みです。日々おしよせる老いには勝てません。何年か前に、知人に送って頂いた本を思い出し、読み返してみる、その中に、どんなに元気な人でも、「寄る年波には」勝てず、根気がなくなってくる、年と共に、心身の疲労に投げ出してしまいたいこともある。(自分自身が今この状態である。)
「老後を想う」として、生活のリズムをくずさず、一日を十日と考え、生活のリズムを失わないように、お念仏の中、落ち着いておおらかにすごしたいものである。また『法句経』には「頭が白いからといって、それだけで長老とはいえないただ年をとっただけならば、空しく老いたというにすぎない」と人生は「はかないものである」と、よく言われますが、晩年の一日一日を有効に生かすための努力と工夫が大切であります。(略)
  今年も空しく一年が過ぎようとしています。この本を読んでいると、自分のいたらなさを感じ反省するところです。昔、わたしが若い頃、本山の執事長に君たち「日暮れ腹暮れではだめだ」と日々の生活を叱られた、この歳になれば叱ってくれる人がいない。
日々の生活に追われ、物事を後回し、そのうち、そのうち、といいながら結局なにもしない。その日も暮れてしまう。
 空しく年を老い、その人生が終らないようにするために、人生残り限られた時間をどのように使うか、でその人の価値が決まるのです。法然上人の御法語(登山状)に「仏法流布の時に、うまれて生死解脱のみちをきく事をえたる。しかるを、今、あいがたくして、会うことを得たり、いたずらにあかし、くらしてやみなんこそ、かなしけれ」と、ありがたいお念仏の教えがあるのに、それなのに、念仏を申さず、いたずらに月日をすごしてしまうことは、まことに悲しいことです。とお示しくださっています。
 今年も残り少なくなりましたが、その日に出来ることは後に回さず、あせらず、生活のリズムを整え、念仏の中一日一日を大切に過ごしたいものです。19日は年末の大掃除です。総代役員さんと有志の檀信徒の皆さんご参加下さいますようお願い致します。