お寺あれこれ 26

家の間取りと育て方
本堂と庫裡(住まい)を再建して、23年が過ぎました。私が育った頃は、この寺は本堂と庫裡が合わさった藁葺屋根にトタンを被せた建物でした。その建物の一角に8畳二間を本堂として使用していました。江戸時代末期から今の本堂が完成するまで、150年以上本堂のないお寺でした。昔の建物ですから襖と障子を外すと大きな部屋となり寺の行事や法事にに使用ができました。今の庫裡を建てる際、家族其々が帰っても、居間(リビング)を通らないと各部屋へ入っていけないようにしましたから、子供が学校から帰って黙って部屋へ入られないのです。必ず親は子供の顔が見られるように、子供も親の顔が見られるようにしました。今から23年前は、すでに家庭内暴力とか学校(校内暴力)でのいじめや様々な問題があり社会問題になっていた時代でした。子供の教育や育て方について色々とマスコミも取り上げていました。私も特に子供に対して、これと言った教育方針もなく、ただお寺ですから、仏さまに手を合わせること、と善悪のけじめだけは(悪い事は絶対するな)子供に教えたつもりです。あとは妻に任せっぱなしでいいかげんなものでした。しかし家を建てることは、一生に一回あるかないかの人生にとって一大事の事業ですから、家の間取りについては、私のこだわりがありました。『家族が仲良く過ごすこと』ができる住まいができれば、という夢があり、そのためには、一日一回は必ず家族の顔が見られること、挨拶ができること、また子供が勝手に、黙って各々部屋へ入れないような間取りにしたわけです。当然外へ遊びに行くにも、親がいる居間を通らなければ行けません。二階の子供部屋は鍵がかけられず、子供は長男と次男でしたから、一つの部屋を本棚と机とベットで区切り鍵がかけられる個室は与えないことを考えていました。学校の成績は、カエルはカエルの子で、期待は持てなかったが、字が読め、ある程度の計算ができれば良しと考えていました。それとスポーツとか武道で、仲間と切磋琢磨して、共同生活を学んでくれれば、社会人になってもなんとかなる、という私の勝手な考えで育てましたから、本人たちはどう思っているかわかりませんが、子供はいつまでたっても心配なものです。最近ニュースで、成人になった子供の事件で、親の責任が問われるようですが、親は親で、子供の責任は親にはない。ときっぱりと言えないのが今の私の考えです。現在の社会は、今思うと子供を思うあまり溺愛したり、かぎっ子など放置し、子供のしつけや育て方まで、保育園や幼稚園、小学校や中学校の教諭まで押し付けた時代です。子供に対して、あらゆる時間や金を使い、偏差値重視の進学校に進学させ、いい会社へ就職できればよしという、自分の子であるがゆえ、子供の人生まで親の思いどおりにする親がいますが、そのことが子を私物化することに気がついていない親がいます。「子は親の言う通りにはしない。親のした通りにする。」ということが、どこかの掲示板に書かれていました。自分が親にした通りに、その子も親にそうするでしょう。「三つ子の魂百まで」と言いますが、私たちの性格は、3歳までに養われるそうですが、もしそれが本当にそうであったなら、親にとって子供のしつけこそ大切なことです。特に母親のスキンシップは時間をかけて行われることが望まれます。現在、母親や父親が、幼児を自分の思いどおりにならない、その腹いせに、最も弱い、なんの抵抗もできない赤ちゃんや幼児を虐待し殺していまう事件がありますが、大人になり切れない大人が結婚をして、子供を産んでしまうこと自体が悲劇かもしれません。わたしも可愛い孫がいますが、こんな幼い子をどうして虐待するのか、そんなニュースや記事を読むだけで心が痛みます。ほんとに悲しい事です。親は子供の教育の責任を学校や社会に責任を転換し、また子供を責めたりします。しかし、まず親が「まともな生き方をしているのか」自分自身に問うことも必要ではないでしょうか。日本も豊かな先進国と言われていますが、高度経済成長期はお金が入り物が豊かになり、また科学が進歩して、なんでも便利な時代になりました。そのひずみとして、青少年の非行犯罪や家庭の崩壊、老老介護、学校でのいじめによる自殺、教育問題、雇用問題、年金問題など社会問題が続出しました。しかしここ20年は景気も落ち込み、経済も低成長期になり、サラリーマンの平均収入が400万になりバブル時代より下がっているそうです。私たち自身もやっと足元を見る時代になったかもしれません。親がまず、自分さえよければ、また自分の子供の利益や出世だけを望むのでなく、自分本位の考えを改め、人を思いやる優しい心を持ち、自分が実践すること、また周囲の人に伝えていくことが社会人としてもっとも大切なことではないでしょうか。

 

お寺あれこれ 25

お見舞いに行く
以前職場で働いていた時の同僚が体調を崩し、彼の自宅近くの病院に入院をされた事を聞きお見舞いに行く。彼は学生時代空手部で、話し好きのいい雰囲気をもった硬派でありましたから、体には自信を持っていたと思う。今もスポーツジムへ行き2時間くらいは軽く汗を流している彼であるから、私もまさかと思ったが、お互い還暦も過ぎなかばで、ある意味では病気になっても覚悟をしなければいけない年である。朝車で行き1時間30分ほどで、その病院に付き彼に会う、彼の顔には大きなマスクに、腕には名前が書かれたものをまかれていた。話を聞くと2週間ほど前に、体調が悪いのに、自分では大丈夫と思っていたが、娘さんが病院へ強制的に予約を取り、受診に行ったところ、即入院をするはめになったそうである。昨日まで鼻に入っていた酸素吸入がとれやっと自分で歩けるようになったそうである。娘さんが来られていて、色々と世話をされている。子供の一人には女性がいなければ、こんな時には、男性ではどうにもならないものである。(残念ながら私の場合は、こどもは兄弟とも男性である。)彼も寺の住職であり、今も二足の草鞋で現役で働いておられる。なにかと大変であることはわかるが、まずは病気を治すことが何より先決であることは私が言うより、彼自身が一番わかっていることであるが、「早くようなってや」と言うしか、言葉がないのである。彼はふだんの生活とは違う入院生活が大変であるので、娘さんに「勝手がいかない分」なにかと頼んでいるようである。わたしも心臓が悪く14年前に3週間ほどの入院生活を経験をしたが、入院当初は自由がなく検査ばかりですから、ほとほと精神的に疲れてしまいます。入院し手術ともなると「まな板のコイ」で医者と病院側にすべてを任せるしか方法がないのである。いつも思うのであるが、治る見込みのある病気であるならば、入院のしがいがあるが、治らない病気で入院し一人寂しく死ぬ場合も多々あるのである。現代ではほとんどの方が病院でお亡くなりになる時代である。彼の話によると、この入院中に何人かは親族の方が、遺体を迎えに来られたということである。私たち僧侶も死に接する機会が多くありますが、自分の事になると、どうなるのか、お釈迦さまの教えでは世の中のすべての存在が変化することは、頭の中では教えとして知ってはいる。実際自分が死ぬこともその一環であり、そう怖がり恐れる必要はないのであるが、そこは凡人で愚か者であるので、慌てふためくのが落ちかもしれません。担当医によるできる限りの処置がなされても、麻酔やモルヒネにより痛みは和らぐが、患者である私たちの心の不安や苦しみは、薬や麻酔では、やわらぐことはないのです。わたしたち現代人が、安心して息を引取るのは、どうしたらいいのか、やはり普段から、生死の事や信仰の中で、自分の死を「どうしたら」素直に受け止める事ができるのか、普段から考えておくことが大切ではないでしょうか。今までは病院や医師側の一方的な判断や延命治療を受け、本人の意思とは別に、死に至るケースが多くありましたが、これからは患者自身も医師任せや病院任せではなく患者自身が自分の病状をよく知り、自分の判断や意志を養うことが大切です。日頃からしっかりと「生死事大、無常迅速」を心がけておくべきではないでしょうか。彼とは30分ぐらい話をして別れました。彼は寺の松を自ら剪定をされるので、早く彼の剪定した松を見たいものです。

警覚偈
敬曰大衆 生死事大 無常迅速 各宜醒覚 慎勿放逸

敬いの念をもって広く皆様に申し上げます。生と死の輪廻をめぐるか否かの事は、生きていく上でもっとも肝要な事ですが、時は常に移り変わり、しかも非常に速いものですが、おのおのしっかりと目を醒ますべきです。慎みの心をもって決して放逸(きまま)になってはいけません。