教え

法然上人の教え

阿弥陀さまの本願(誓願)を信じ、口に「南無阿弥陀仏」と名号(名前・称号)を称え阿弥陀さまの光明に照らされて、人格を高め正しく明るく仲良く生活をし、命終わるときは阿弥陀さまの来迎により浄土に往き生まれる事(往生)を遂げ、西方極楽浄土で悟りを開く事を教えの根本としています。浄土宗では次の三つのことを教えの中心にしています。西方極楽浄土ー阿弥陀さまが人々を救う為に建立された世界。念仏を称えるならば、命終ののち生まれることのできる永遠の安らぎの世界。けがれや迷いのない、真、善、美の極まった世界であるが、単に楽の極まった世界と考えてはいけません。私たちは浄土において「仏になるために菩薩行」をつみ、のちに仏になることができるのであります。阿弥陀経に西方十万億土の彼方にある国と記されています。阿弥陀佛―西方極楽浄土の救い主。浄土教において信仰の対象となる本尊仏。「無量寿経」に法蔵菩薩がすべての人々を救う為に、四十八願の願い(本願)を立て長い修行のあとに仏になり、極楽浄土を建立されました。すべての願いがかなえられている世界であります。この仏さまの名が阿弥陀佛です。阿弥陀佛自身による「すべての人々が真心をもって心から浄土に往生を願い、たとえ十遍の念仏を称えれば必ず往生を誓われました。この願いが四十八願の中の第十八願「念仏往生の願」と言われ念仏信仰の源流であります。選択本願念仏集ー浄土宗を開かれた法然上人が、六十六歳の建久9年(1198)に、前関白九条兼実公の請いによって述作したもの。浄土の教えを集大成したもので、阿弥陀佛の本願を信じ、南無阿弥陀仏と称えれば、どんなに罪深い愚かな者でも、必ず救われることを説いています。仏教の修行は法然上人以前は大変難しく厳しいものであったが、ただ口に「南無阿弥陀仏」と称えさえすれば、そこに仏道修行が包含されているとし、これが仏によって選び取られた行であると示されました。浄土三部経や善導大師の観経疏などによって浄土宗の教義を一代仏教の中に位置づけています。浄土宗の根本宗典で浄土宗徒必読の書としています。題号に示された選拓とは阿弥陀佛の選び取られた行のことで、「無量寿経」に説かれる本願に誓われた念仏のことです。この念仏を勧めるに当たって、三種の選択を示しています。つまり仏教を聖道門と浄土門に分けた上、浄土門に入れと勧め、次に正と雑の二つの行の中「正行」を修すべし、さらには正行の中の助業を傍らにして、正定の業を専ら修すべしだとしています。この正定の業こそ、本願に誓われた称名念仏(阿弥陀佛の名を称える)です。この著書によって日本ではじめて凡夫救済を目的にした念仏の教えが確立されました。
                                浄土宗常識用語集・大法輪選書


仏教講座

光忠寺だより 七月

起行(きぎょう)
阿弥陀仏の浄土に往生を願うものが行うべき実践修行のこと。浄土宗では安心とともに重視するが、安心が信仰心の確立を示すのに対し、起行とは、安心が確立した上でなされるべき行のことをいう。具体的には五種正行(読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養)が特に大切にされ、身(身体)と口(言葉)と意(心・意識)ににわたって修すべき実践形態である。浄土宗では特にこの中の、第四の称名(南無阿弥陀仏と称えること)を最も重要な行としている。●●●仏教基礎用語
五種正行とは
1)読誦正行 ひたすら浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)を読誦することです。
2)礼拝正行 ひたすら阿弥陀仏を礼拝することです。
3)観雑正行 ひたすら阿弥陀仏と極楽浄土をこころに慕い、思いをこらすことです。
4)口称正行 ひたすら南無阿弥陀仏と口に称えることです。
5)讃嘆供養正行 ひたすらな阿弥陀仏をたたえて華、香、水等を捧げることです。

光忠寺だより 6月

九品
極楽浄土に往生を願う人を、その性質、行いの違いによって区分したもの。上品、中品、下品とまず3種に分かち、それぞれにまた、上生、中生、下生とを配当し、全部で9種(九品)とする。従来これらは、往生を願う人の修行段階の差とみられ、上品上生が最高の位にいる菩薩とされたきた。
しかし、唐の善道大師は、九品はみな凡夫であり、、すべて念仏によって往生する人々であると示した。法然上人も、9種の差別など阿弥陀仏の本願にはないのであって、すべて口称の念仏によって救われると説かれたのである。九品往生は『観無量寿経』に詳説されている。●●●仏教基礎用語

怨親平等
怨親は我を害するものと我を愛するものの意。仏教では大慈悲を基本とするので、怨敵も憎んではいけないし、自分を愛してくれるものに執着すべきではなく、これらを平等に考えなければならないとする。●●●仏教基礎用語

光忠寺だより 5月

厭離穢土・欣求浄土
けがれたこの世界を厭い、清らかな浄土を願い求めること。略して厭穢欣浄、厭欣ともいう。現実のこの世界は穢悪、濁悪であるから、これを厭い離れて清浄な理想的世界である阿弥陀仏の西方極楽浄土を慕い求め、往生を願うこと。浄土教信仰の基本思潮であり、浄土宗でも総安心として厭欣心をあげ、信仰上の基盤としている。平安時代、恵心僧都が『往生要集』にこの語を使い、未来の到来とも関連して浄土教信仰が広まった。
・・・仏教基礎用語

回向
功徳や善根を仏道成就のために振り向けること。回施。回転。浄土教では二つの回向を説く。第一は自己及び他の人々と共に仏道に趣向し、浄土に往生して菩提を成就するための往相回向、第二は浄土に往生したのち、この世界の実解脱の一切衆生に働きかけ、仏道に向かわせる還相回向である。・・・仏教基礎用語

光忠寺だより 4月

往 生
この世で命を終って後、他の世界へ往って生を享けること。特に西方極楽浄土に往き生まれることをいう。阿弥陀仏は、この世での苦しみ、罪を犯している人々を、一人も漏らすことなく救おうとして願いを建てた。それが『無量寿経』に説く四十八願である。その十八願に「念仏往生の願」というのがあって南無阿弥陀仏と称えれば、どんなに愚かな人々でも、極楽浄土に往生しようと願って南無阿弥陀仏と称えれば、必ず往生できると示されている。今日のような末法の世では、この世で苦しい修行をつんでさとりを開く(成仏)ことは不可能である。そこで阿弥陀仏は、西の方角に極楽浄土という国を建て、先ずここに往生することを勧めている。これは本願によって建立された世界であり、一切の穢れや苦悩もなく、すべての人々の成仏することが約束されているところである。わたしたちはこの本願を信じて、常に念仏を称えつつ、その中に日々の生活を営みたいものである。●●●仏教基礎用語

光忠寺だより 3月

春彼岸(3月18日〜24日)
お墓やお仏壇を掃除をして、日頃の思いをご先祖に伝えましょう。3月21日には当山でも彼岸会を奉修致します。今年はこの日が満月だそうです。天気がよければ、夜空にうかぶ満月を見ながら、南無阿弥陀仏と称えて下さい。
彼岸とは、サンスクリット語パーラミター(波羅蜜多)の漢訳である到彼岸の略です。その意味は、迷いの此の岸(私たちが住むこの世界)より彼の岸(阿弥陀仏の極楽浄土)に至ることを意味しています。したがって、さとりの世界へ到るための実践項目が完成した状態を示す言葉です。大乗の菩薩がさとりの世界へ到るための実践すべき徳目として、古来から重視された六種の徳目があり、六波羅蜜と言います。
その六波羅蜜とは
➀布施ー他に施しをすること 財施(ものを施す))と法施(真理を説く)と無畏施(恐れを除き、心に安らぎを与える)の3種が説かている。
②持戒ーいましめ
③忍辱ー耐え忍ぶ
④精進ー努力
⑤禅定ー安心(精神を統一し、心を安定させる。)
⑥智慧ー物事をよく見て、心の目をもつ
以上の六つの波羅蜜の行いを、私たち仏教徒もこの彼岸の期間に努めていきたいものです。春分の日(中日)の前後3日間に分けて、今日を感謝し念仏を称えながら、一日一つの徳目を実践し、中日は西方極楽浄土に往き生まれられたご先祖を偲び、彼岸会でご供養して下さい。

 

光忠寺だより 2月

業報輪廻
よいことをすれば幸せな報いがあり、悪いことをすれば不幸な結果を招くということが業報であり、悪い行為をしたことによって、苦しみ迷う世界からぬけだせず、死後、鳥や獣になってなんども転生しながら、新しい肉体にもその報いがやどり、苦しみつづけるという転生の繰り返しを輪廻という。この考えは古代インドにすでにあったもので、一種の宿命論、決定論とみなされていたものを、釈尊は仏教の立場から変容して、人間の決意と努力によってかえることができるものとして受けとった。インド一般の常識を仏教へ導き入れるためのよびてきな手段としたもので、徐々に仏教の本質に導くようにした。業とは行為のことであるが、業の結果としての報いを起こす。迷っている限り、人間は業からぬけだすことができないというようになる。そのなかで、釈尊は人間の行為のありようによって変えることができるだけでなく、まったく断ちきることができることを目標とした。それが「さとり」の世界であった。
しかし、一般には、仏教は業報輪廻を説いて、すべてを「あきらめ」させる考えを植えつけているように受けとられている。たしかに悪いことをすれば地獄へ落ちると説くが、だから、よいことに勧めるための手段にすぎなかった。自己をふりかえってみたときに、おのれの行為のありようのいたらなさを反省させるために必要な手続きとして説いたものであった。その反省から仏の道へ転換する決意をもったとき、業報輪廻を断ちきる道が開ける。とくに大乗仏教のすべてが、現在の行為を大切にして、業報との断絶を強調している
あきらめを説いたかに理解されている仏教は、じつは、あきらかに見通すために、努力することを力説していた。親鸞ですら、阿弥陀の願力には宿世の罪業のきずなを断つ力のあることを歌いあげ、仏の光明にあうものが瞬時にすべての業のきずなから解放されることを強調している。
「大法輪選書.わかりやすい仏教用語辞典p46石上善応

光忠寺だより 1月 

功徳・利益
「功徳」も「利益」もともに多くの意味を持つ。また世浴的にも宗教的にも用いられることばである。従来の伝統的仏教である小乗仏教が、世浴を離れた出家生活に悟りがあるとしたのに対して、世浴生活の中に悟りの道がある、と強調した。この立場を批判して実際、大乗仏教の実践者である菩薩には、出家者よりも在家者が多かった。彼らは釈尊の慈悲の精神を重んじ、自己の悟りよりも他を悟らしめるという利他の実践を先としたのである。そのためにあらゆる善をなし、功徳をつんで、積極的に世俗社会にはたらきかけ、利益を与えようとした。
大乗仏教はそこで「功徳」や「利益」について語ることが多いのであって、小乗仏教では、このような傾向はほとんどみられない。大乗の菩薩にとって大切なことは、慈悲による利他行であり、智慧を修習し完成していくことである。このことをめざして行われる善は、たとえそれが世俗的な善であっても、すべて悟りのかてとして意味づけられる。「功徳」とは、このような善行・福徳のすぐれた特質のことであり、また善行の結果としてえられるものをさしている。この意味における「功徳」の原語は、サンスクリット語のグナであるが、「グナ」は」「すぐれた性質」「特質」を意味する。そのほか「功徳」と漢訳されているものには、プニヤ(福徳、善行)、サンパーラ(至福のもと、かて)、アヌシャンサ(すぐれている点、利益)などがあって、広く善や徳行について、その行為、特質、果報、利点を意味することばとしてもちいられているのである。
「利益」とは、「りえき」と読むと、「もうけ」とか「とく」を意味するが、仏教語としては「りやく」と読む。「ためになること」という意味のほか、「他人を益すること」「如来から与えられた恵み」「すぐれた利点」などの意味がある。一般に「神仏のご利益」というと、神仏への祈願によって病気がなおるとか、商売が繁昌するとか、という現世の利益のことをさしているが、仏教語の「利益」とは、善行によって得られるもので、この場合、とくに自己を益するものを「功徳」といい、他人を益するものを「利益」といっているのである。
大乗仏教は、自己の悟りのため(自利)のみならず、むしろ他のすべて人の悟りのため(利他)に、善をなして功徳をつむことをすすめ、その功徳をもってすべての人々を救うことを教えている。これが衆生利益ということである。功徳のうちもっともすぐれているものが仏徳であるが、それは仏の悟りの偉大性を示しているのである。
また、大乗仏教では、さまざまのくどくのうち、正しい教えをまもり、それを実践することから生じる功徳がもっともすぐれていることが強調され、さらにその功徳を他の人々にふりむけていくなら、それによってえられる利益ほどすぐれたものはない、と説いている。「わかりやすい仏教用語、爪生津隆真」

光忠寺だより 4・5月

袈裟
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というように、袈裟は坊主にとってもきれない存在である。今日、坊主という言葉は一般にろくな意味で使われていないが、本来は身分の高い僧侶に対する敬称であった。坊というのは大寺院に所属する個々の小寺院をさし、その坊の主が坊主なのである。しかし、室町時代以降は一般の僧侶をも「坊主」とか「坊さん」とか呼ぶようになったという。袈裟は僧侶が出家者の標識として着る法衣なのである。つまり、坊主は必ず袈裟を着用しているわけである。中国や日本では、衣の上に袈裟をつける。一般に衣と袈裟とは区別されているようである。袈裟にも色々な種類があるが、ほとんどの場合は、右肩をだし、左の肩から右のわきにかけてかける。そこで肩からわきにかけて斜めに斬りおろすことを「袈裟がけ」とか袈裟ぎり」とか表現する。また、「大袈裟」というのは、大きな袈裟を意味し、あるいは大きく袈裟がけにきることをいう。さらに転じて、規模の大きいこと、誇大、おうぎょうを意味するようになった。中国や日本では、袈裟は衣の上に着用するといった。しかし元来インドでは、下衣の上に直接つけていた。べつに衣と区別されていたわけではなく、まさに衣そのものをさしていたのである。ところが、暑いインドではそれでよかったのだが、中国や日本で袈裟だけをきていたのでは寒くてたまらない。そこで、まず白衣を着て、その上に、黒、赤、緑色、紫などの色の法衣を着て、さらにその上に袈裟をかけるようになったのである。
袈裟はサンスクリット語カーシャーヤまたはカシャーヤの音訳である。カシャ―ヤは「赤褐色の」という意味である。そこで、染衣、間色衣、赤血色衣、壊色などと漢訳される。インドの仏教徒は、仏教教団に入門すると、まず髪とひげを剃り、赤褐色の衣を着けさせられる。これが袈裟である。赤褐色の衣をきていると、あれは仏教の修行僧だなと判別されたのである。
古代インドでは男でも女でも、日常生活においては、下衣と上衣しかつけていなかった。下衣のことをアンタリーヤとかアンタル・ヴァストラとか、アンタル・ヴァーサスとかよぶ。いずれも「なかに着る」という」意味がある。また上衣のことを、ウッタラ―サンガとか、ウッタリ―ヤとよぶ。「上に着ける」仏教徒もこの習俗にしたがって下衣と上衣を着けた。「安陀会」と音訳され、「中衣」、「中着宿衣」と音訳されているものが、アンタリーヤ、すなわち下衣である。日常生活は下衣だけ、すなわち上半身はだかですごした。「鬱多羅僧」と音訳され、「上衣」、「上着衣」と意訳されているものがウッタラ―サンガ、すなわち上衣である。
仏教はこのほかにサンガーティというものを着る。「僧伽梨」と音訳され、「大衣」、「重衣」と意訳される。托鉢に出たり、王宮に招かれたときに着る正装用の衣である。僧伽梨、鬱多羅僧、安陀会を三衣とよび、仏教徒はこの規定の三衣のみをもつことが許された。それらの三衣の色は青・黄・赤・白・黒の五つのはでな原色を避けて、くすんだ地味な色(壊色)が用いられた。その色がカシャ―ヤなのである。最初、三衣は捨てられたぼろ布を洗ってつくられたもので、糞掃衣ともよばれた。
ところが、中国や日本では、規定の三衣だけでは寒さを防げないため、さらにその下に衣を着るようになった。三衣(袈裟)は形式化され、儀式用の法衣の名称になった。極彩色をほどこした華美な袈裟もあらわれた。安陀会は五条袈裟になり(さらに小五条・三緒・輪袈裟などに簡略化された)、鬱多羅は七条になり、僧伽梨は九条になったが、いずれも金襴、錦綾、さらに紋様や縫い取りが施され、きらびやかに贅をつくした華麗なものに変形した。そしてその高価なことといったら、僧侶たちも目をまわしてしまうほどである。ああ、糞僧衣の昔、いまいずこ。(上村勝彦)仏教語源散策「中村元編」

光忠寺だより 2・3月

乞食(こつじき)・托鉢(たくはつ)
インド伝来の仏教習俗には、バラモン教に起源を求めうるものが少なくない。しかし、経文を称えながら歩き、家々の前に立って米などの施しを受ける托鉢という修行法は、バラモン教に由来するものではなく、六師外道と呼ばれる自由思想家たちが活動したころに発生した生活法といわれる。バラモン教圏外の思想家は、シュラマナ(沙門)と呼ばれ、出家修行者にとって、自由な議論をたたかわせていたが、こうしたシュラマナ
の生活様式はすみやかにバラモン教圏にも浸透した。乞食修行をとり入れたバラモン社会は、四住期の制度を生み出した。インドの古代法典は、司祭(バラモン)、武士族、庶民の上層三段級の一生涯を、学生、家住、林住、遊行の四階段に分け、各々の住期の義務を定めている。学生期の者は、師の下で修学するが、日々乞食行をすることは義務づけられていた。(『マヌ法典』二・十八二)ことに第四の遊行期にあっては、乞食行のみによって生活を支えなければならない。(『マヌ法典』六・四三)。職業をもって家庭生活を営む家住期の者は、他住期の者に職を施して保護をせねばならない。(『マヌ法典』四・三二)乞食行は、それゆえ、仏教僧のみならず一般のインド人にとって、果たさねばならぬつとめであり、乞食者に布施することもまた、当然の義務だったのである。乞食の原語として主なものは、「ビンダバーダ」である。ビンダは「粉や米をまるめてた食」、転じて一般に食物を意味する。バーダは、動詞語源パット(落ちる)から派生した男性名詞なので、「団食を〔鉢中に〕投げいれる」を原意とすると解説されている。しかし、エジャトンの『仏教混淆梵語辞典』では、パータに「得ること」という意を与え「食物を手に入れること」の意に解する。ビンダバーダの派生語であるビンダバーティカやバインダパ―ティカも「乞食」と訳されているが、別系統の語として「ビクシュ」がある。これは動詞語根ブㇵジュ(分け前を得る)の希求法の形による派生語で「分け前を望む者」の意味であり、比丘または苾蒭などと音写されている。乞食行は、中国、日本の社会にうまく融けこめなかったようにように思える。勤勉をもって美徳とし、現在、欧米諸国から「働きすぎ」と非難されているわが国の国民性は、無爲徒食如く見える生活態度には、高い評価を与えない。明治5年、托鉢禁止の法令を発してさえいる。乞食は「こじき」と読まれ、今では全く蔑称となっている。風土が変われば修行法もかわるものであろう。大法輪わかりやすい仏教用語辞典」より。

光忠寺だより 1月

寺、てら
「お寺で大きな音がしました。どんな音でしょうか、?」お茶目な若い尼さんが問いかけて来ました。どう考えても分かりません。とうとうカブトを脱ぎました。「それはドスン(土寸)という音です。」なるほど、寺という字は土寸と書きます。しかし辞書によると、ずっと古くは止と寸を書いたとあります。この「止」から「ジ」の音が出たようです。そして「寺」の意味は「役所」であったようです。
昔、中国で時の天子が大そう仏教を信仰され、インドの高僧二人を招かれたことがありました。はるばる旅をして来られたこの二人を今の外務省のような役所「鴻臚寺(こうろじ)」へ一年間滞在させられ、後に洛陽に専用の宿舎を建て、「白馬」と名付けられました。(白馬はインドから中国へお経を運ばれた馬に依られたのです。この白馬寺が中国で初めて建てられた仏教寺院で、それから「寺」の字は「役所」の意味を離れて「僧侶の住居」の意になってしまいました。
これで「寺「」の音が「」ジ」、意味が「僧侶の住居、修行所、仏教の礼拝所など」であることは分かりますが、日本読みの「てら」の出所と訳が分かりません。これに就いて、よくお説教師などは、「本堂の中のお飾りが結構でテリカガヤク。また、仏さまのお慈悲は広大慈恩で、私たち、迷いの闇に閉ざされている者をテラシ給うのでお寺と申します。」と説明されているようです。この説も「和訓しおり」にはでているのですが、どうも語呂合わせのこじ付けというより考えられません。「てら」の語源には次の二つが考えられます。その一つは東南アジアの言葉(パーリー語)で「テーラ」の転訛とする説です。「テーラ」は「長老」の意で、後に「長老の住い」「寺院」の意となったと説明しています。もう一つは朝鮮語で「チョル」の転訛とする説です。これは「礼拝所」を意味し、今日でもそのまま使われているということです。古くわが国へ仏教が伝わった経路を考えると、朝鮮の言葉「チョル」が「テラ」と変化して行ったのが一番無理のない説のように思われます。「寺」が初めは「役所」、後「僧房」の意味で使われたことを考えると、(侍)さむらい(持)もつ(待)(まつ)塒(ねぐら)たのむ(恃)など、寺の付いた字の多くが「準備している。何か仕事をする状態でいる」ことを示していることがわかります。いつ、どなたが訪問して来られても良い状態であること。この姿が「寺」本来の形なのでしょう。掃除も行きとどき、どんなお話でもお相手ができること。これが理想的なお寺の姿かと気がついたとき、どうも脇の下を冷たい汗が流れでました。
寺は修行の場であるため人里離れた山に建てられることも多く、比叡山延暦寺、華頂山知恩院などと云います。その後、教化のために市中にでた寺でもその名残りで〇〇山と「山号」を付けます。金竜山浅草寺、三縁山増上寺は良い例です。このため「寺」の意に「山」を用い、「山内一同」「御山主」などと云います。知恩院などの「院」は「垣をめぐらした大きな建物」の意です。病院、児童院などと使います。「庵」は草葺の小さな建て物。「坊」はもと区画された町。転じて別当の建て物。混同して室、部屋。その部屋の住人に付けることになりました。こんなことを調べると寺にもいろいろ面白い話題もあるものです。「話の種に 浄土宗新聞連載 みほとけ講座」より

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