お寺あれこれ 19

写経会
日本では天武天皇白鳳二年(673)にて「一切経」を写されたということが「日本書記」の記録があり写経の最初とされています。浄土宗の写経会は、法然上人が元久元年(1208)後白河法皇の十三回忌において「浄土三部経」を書き写されたのが始まりとされています。(勅伝第十巻)もともとはインドの経典が中国語に訳され、日本に伝えましたが、今日のようにコピーや印刷機がなく多くの人の手によって一字一字移して経本を作りました。当山にも昔からの経典は巻物に写し取られたのが残っています。(虫が食べボロボロ)昔は紙の原料などをしぜん作り、筆は狸や猫の動物の毛を使わず、竹や柳の根を小さく砕き、それを束ねて筆を作るなど、道具をそろえ、自身も百日もまえから身を清め、いよいよ始まる7日前から「前方便七日」といい、、仏さまにお参りして自ら罪を懺悔し、写経会当日から毎日入浴して身体を腹の底まで清め精進潔斎して写経にかかります。(お経の成立と写経会、宍戸栄雄)このように昔は大変な作業と深い信仰の中で写経をされました。当山での写経会は、別時念仏を30分して、その後写経の資料をもとに説明し、各自のペースで、法然上人の一枚起請文を一字一字心をこめ書写して頂きました。今日の参加者は12名でした。写経用紙は朝のお勤めでご回向をして写経箱に納めています。またの参加をお待ちしています。

お寺あれこれ 18

汗をかくこと 清掃
寺の住職をしてますと、他の方のお家へお伺いすることや他寺に僧侶が集まる時がございます。そこのお家の玄関や寺の庫裡や式台にいきますと、靴が揃えてあるか、普段使われない物が積まれていないか、自然と目に入ってきます。私が建物や庭に興味がありますから、手入れの行き届いているか、また住いがどのようなに使われ、そこでどのように生活をされているかわかります。自分では建物と庭は対のものと勝手に思っています。掃除も何かのきっかけがないとなかなかできませんが、例年、梅雨時期から庭の樹木の枝が伸び茂ってきます、盆までに私のできる範囲で一通り剪定をし、大きい樹木だけ造園さんに頼んでいます。庭のほかに境内と墓所もしますので、毎日剪定と掃除をしている感じです。当山では外回りは住職で建物は妻が主にやっています。私が思うように、隅々まで掃除がいきとどいてることはないのですが、なんとか盆までに掃除ができています。私は読書やものごとを考えていることより、体を動かして掃除をしている時が無心になれます。また心が落ち着きます。食事も体を動かしたあとは特に美味しく頂けます。一年を通して寺の行事や盆正月に合わせて掃除を心がけています。最近は街角やお家の前を箒をもって門前を掃いておられる姿をみることが少なくなりました。一般企業や会社でもそこの職員が掃除をしていることはほとんどなくビル管理会社が委託されてやっていることがほとんどです。当山でも他人から見られないところは、何年も埃まみれで手の付けられない状態です。最近テレビなどで掃除の特集をしています、そのときは色々と勉強になりますが、結局のところ自分次第ですね、「断捨離」とよく言われますが、掃除の場合だと使わないものは「捨てる」ことが何よりも大切であることを言っておられました。日々私たち人間は「我欲」に執着して煩悩が付きまといますし、心の中も煩悩という埃がつき汚れています、常々こころの整理や気持ちの切り替えが大切ではないでしょうか、また汗をかき体を動かしていると前向きな気持ちにもなれます。寺は住職だけでは掃除はできません、寺庭婦人(妻)や寺族(家族)や檀信徒の皆様の協力がなければ年間を通して行事や法要前の準備と掃除はできません。当山では、盆施餓鬼と春秋の彼岸会の前に檀信徒婦人会で本堂・位牌堂の掃除をしています。年末には檀信徒(有志)の皆様で大掃除をしています。ときどき朝早く山門の前をゴミ袋を持ち、ゴミを拾い集めていらっしゃる方がおられます。ありがたいことです。近くの不動産会社の方が会社周辺の街角をときどき掃除をされていいます。近年、川や山に平気でゴミを捨てる方がいます。当山の山門前でも時々食べ物の空箱やペットボトルなどが捨てられています。残念なことです。私たち個人の心がけ一つで、ゴミのない美しい街並みや挨拶ができる明るい地域社会ができるのです。私たち日本人は規律正しい国民であったはずです。毎日は無理だとしても、計画をして週2回でも身の回りから掃除を心がけたいものです。