告別式の話し
松の剪定をしていると、どこからとなくいい香りが漂ってくる、その先に橙色の小さな花が咲いていました。夏前に枝を強剪定したキンモクセイが樹木全体に咲き、いい香りを放って心和ませています。
ところで、以前から気になっていることがある。告別式という言葉である。一般的には葬式と同じ意味に使われている。私の経験上大きな葬式になると、前半の一座を告別式とし、後半の一座を葬儀式として執り行われることがあります。
私たち仏教徒は、仏さまのお国へ還って頂くこと、浄土宗であれば極楽浄土へ往生を願う儀礼儀式が葬式として執り行われています。当然告別式ではなく葬儀式という言葉でなければなりません。
告別式を日本語大辞典で調べると、「①転職、退官、退職などの別れの儀式、送別式。②親族、知人などの縁故者が集まって、死者に別れを告げ、、冥福を祈る儀式。葬式とある。」と二つの意味があり、特に告別と葬儀の意味が分けられていない。
逆に葬儀を調べると「葬儀は死者を葬る儀式。葬儀。また葬式は、死者を葬るための儀式。民族・習慣・宗教・宗派などにより異なり、地域差も大きい、葬儀、葬礼、葬送、弔い。」とある。しかし、葬式を執り行うことは、「葬・ほうむる」は遺体の処理と「喪」死者との別れでという意味も含まれている。告別式は書かれていない。古い辞書辞典を調べることはできないが、特に平成になって葬儀の案内板や告示版に葬儀式ではなく告別式という言葉がよく使われています。
本来は、告別式という言葉は、転任、退官、退職する人に別れを告げる為の儀式である。就任式と反対の言葉です。死者に対して使う言葉でなかった。古い浄土宗大辞典には告別式という言葉すらありません。しかし新編纂の浄土宗辞典には、「故人、知人や友人などが故人に対して最後の別れを告げるための式典。葬儀式が一般的に宗教者を呼んで何かしらの宗教的な儀礼を行うことに対して、告別式は特に宗教的である必要はない。また生前の故人の意思や喪主の判断によって告別式をしない場合もある。 日本で最初に行われた告別式は、明治43年(1910)に思想家の中江兆民が死去した際である。このとき中江の生前の意思によって、僧侶が関わる宗教儀式部分のかわりに弔辞や演説などの無宗教の式典が執行された。告別式が全国的に広まったのは戦後の高度経済成長期で、告別式を含む葬儀全体を遺族のものではなく自分自身の最終表現とする考え方は、現在ではさらに広がっている。」と記載されている。
さらに別資料を調べると、昭和60年頃と思うが、NHKテレビで「お葬式」という特集を放送した中で、中江兆民の諸事情と告別式の由来について、「無宗教で執行された葬儀を告別式と言う・・」と定義し、再度の確認をしていました。
本来葬式と告別式は、それぞれ別に行われていたが、昨今、経済性、効率性、また意味も問うことなく葬式の告別式化が進んでいます。
家から個人、組織の弱体化、人との付き合いが煩わしい、寺との関係性(葬式と法事だけの付き合い)、僧侶に対する不信等々時代の流れの中で葬式も大きく変化しています。人を喪うという悲しみや手を合わせる姿は、今も昔も変わらないと思いますが。今一度私たち仏教(浄土宗)としての葬式の意味を考えたいものです。
「葬式に関する認識」として(1996)東京都生活文化局の調査
イ.故人とのお別れをする慣習的なものー60%
ロ.冥福を祈る宗教的なもの―32.4%
ハ.遺族のために行う儀式ー6%
「自分の葬式について」読売新聞の分析(2001)
1.身近な人だけの、形式にとらわれない葬式 66%
2.世間並みの葬式をしてほしい 32%(3年前より5%減少)
(2014.5大法輪)