お寺あれこれ 95

コロナ禍

全国的にコロナ感染拡大が止まらず第四波がきたようです。昨日市からワクチンの通知がきましたので、いつもの病院へ予約の連絡をしたところ、まだワクチンが来ていないとの返答である。各機関も混乱しているようです。
 春彼岸会も終わり、庭の花も見頃ですが、あっという間に、雑草も山野草と区別がつかないまで伸びています。自然の力は、衰えることはなさそうです。お釈迦さまが説かれた生老病死という現実を身をもって感じるこの年になると、身体の状態もよるが、草引きも大変である。しかし草引きが出来ることは、私にとっては幸せです。
 今日は朝から軸の虫干しをしました。表装から仕直したいが、なかなか予算もなく、今お世話になっている表具師の方に相談をしますと、従来の表具のまま総裏打ち紙をやり直すことで、虫穴やしわ折れがなくなり床の間に掛けられるようになりました。見事に修復ができました。
 花壇の牡丹もつぼみが付き、日を追うごとに大きく膨らんでいます。牡丹の花が咲く頃は、例年4月20日頃ですが、今年は早いようです。?楽しみに
  

    

 


 


 

お寺あれこれ 94

コロナ禍 
新型コロナ感染拡大が続き、コロナ禍での生活も一年が過ぎました、外出もできず、掃除か当山の過去帳の整理や歴代上人の資料の作成また形原松平家の藩主などの資料を調べ次期住職へ伝えるものが少しはかどった。
 彼岸会は昨年同様時間差をつけ地区別にお参りいただくことにしました。檀信徒の皆様にはできるだけ三密を避けお参りして下さい。
 四月末には牡丹の花が咲きますので、その頃に、写経会と花見を予定していますので、ご参加して下さい。
 悲しいニュースが多いですが、幼児虐待死亡、私には朝のお勤めで供養するしかございません。



お寺あれこれ 93

そろそろ花壇の肥をやらないと思うのですが、外へ出ることも寒くてできませんので、コロナ禍のなか、普段できない倉庫の整理や本棚の整理をしています。今日は箱に納めてある大乗経典(巻物)を一度も見たことがなく、その経典を見てますと、書写された記録があり約3年間かけて書き上げたものでした。現代の私たちでしたら、印刷されたものや、デジタル化されたものを資料として手に入れるのが当たり前ですが、昔の方は、自分で経典(木版もあるが)を書写されたのにはおどろかされます、経典の最初の一字から最後の一字まで、乱れることなく美しい楷書で書かれた字には、書かれた方の深い信仰と継続した集中力には頭が下がります。
 寺の什宝物として、後世に保存しなければなりません。本堂や諸堂の老朽化は、目に付きますが、軸や経典や古文書などは目にすることなく時が過ぎ、埃や湿気で傷んでしまいます。必要な時に修理し記録して後世に伝えなければ、次の世代に残りません。しかし重要な文化財ほど修理費が掛かるのは、一般寺院には大きな負担です。
  

 

お寺あれこれ 92

元旦 本堂諸堂お参り
明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願い致します。
 昨年暮れ12月30日に光忠寺の銘の入った涅槃図が帰って来られました。今から約四十年前に老僧(父)が預けたままの状態だったそうです。その方もお亡くなりになられた状況の中、老僧の一言を思い出し、私からもしやと思い、お尋ねしたところ、その方の倉庫から涅槃図が出てきました。          
 今となっては、誰も責めることはできませんが、無事お帰りになられたことは、何よりも有難いことです。しかし絹本と裂の劣化が進み、ひどい状況ですが、なんとか修復をしなければなりません。

お寺あれこれ 91

庭の灯籠、蹲、手水鉢、飛び石、古いものには何か味わいを感じるのは不思議なものです。私に目利きがあるわけでもなし、価値も分からないが、見ていあるだけで心が落ち着きます。墓石もそうである。時代によって形や字体が違うからおもしろい、永い年月により墓石も風化し、形が崩れ、苔がつき、それも味わいです。しかし自分が入る歴代墓には、どんな字が彫られるのか、やはり気になるので、友人に頼み、私好みの書体で書いて頂き、その字を石材店に彫っていただいたのである。字も石質や色や刻印の深さにもよるが、其々に味わいが変わってきます。当山の境内墓地にも古いものがあり、ぞれぞれ書体が違うが、その中に美しい楷書で刻まれた墓碑があり、何方の墓なのか、調べると江戸期の学者の末裔の方であるが、掃除の時には、いつも気になっていた、今は後が絶えお参りする方もないのでそっと心の中でお参りしていました。
 現在に伝わる庭の置石や敷石は、旧墓石から利用されたものが多いが、当山の庭にも多くの廃材を利用しています。
 今年もあと一ヶ月になりましたが、新型コロナ感染拡大が終息することを願い年末の大掃除と新年の準備にかかりたいと思います。お互いに気を付けましょう。


 
 

お寺あれこれ 89


今日の午前中は、境内の草引きとこの時期に伸びた庭木の枝を切る作業をしていました。以前の様に、終日身体を動かす体力もありませんので、時間を決め、体力が続く限り掃除を楽しみたいものです。コロナ禍で寺にお参りになる方もめっきり少なくなりました。と言いたいのですが、当寺は小寺ですから昔から檀信徒の方がお寄りになることが少ないのです。それにしても最近の葬式や法事は家族だけのお参りが多くなり、ますます人と人とが関わる機会がなくなりました。
午後からは二男の嫁が、姪っ子の髪をきってくれるというので、長男と次男の家族が寺に来てくれました。夕食をすませたあと、東の尾根から昇る仲秋の名月を見ながら、楽しく過ごしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

お寺あれこれ 88

コロナ禍の中で

2月以降当山での別時念仏会を中止しています。浄土宗は声に出し、念仏を称えることが教えとなっています。「南無阿弥陀仏」と声を発声することで、飛沫感染になるリスクが高まる可能性があるわけですが、そう考えると、多数の檀信徒が集まる寺での行事が何もできなくなるわけです。当山のような小さな本堂では、ソーシャルジスタンスで2m間隔としますと、15〜20名の席が限界です。もちろん換気を考え、障子や襖の両側を30㎝ほど開けますので、本堂内でも、庭の石畳みや屋根の照り返しで、暑さが厳しい状況です。当寺も多数の檀信徒がお参りできないこの時期に、様々な事を検討し、いかにしてお参りの皆さんが、お念仏を称えられるように工夫しなければならないと思います。府下の新型コロナ感染の状況を見ながら、十月から別時念仏会を再開したいと思います。盆施餓鬼会に引き続き、彼岸会は混雑を避けるため、檀信徒を地域別に時間差をつけお参りしていただくことにしました。以前の様に、本堂でともどもに念仏を称えることもできず、またお茶を飲みながら、笑顔で語ることもできない嘆かわしい状況ですが、コロナ禍の中でも、生まれ育った場所の大切さを思い、一人でも仏壇の前や自分の部屋でも、行住坐臥、いつでも、どこでも、お念仏が称えられるようにして頂きたいものです。法然上人も自分の耳に聞えるほどの念仏で十分だと仰っています。コロナ禍のなかでは、少し控えめにお念仏を称えることも仕方ないことだと思います。こういうときだからこそ、家族や友人やご近所など。人々の絆を深め、お念仏を称えお互い前向きに生きていきたいものです。

お寺あれこれ 87

お盆を迎える

お盆というと、連想されるのは、夏休み、帰省ラッシュ、旅行、盆踊り、お墓参りなどでしょうか、本来の「先祖祭り」の意義が薄れて、習慣となり形式的になってしまった感があります。昔は仏壇の前に先祖さまの精霊棚(盆棚)や縁側に、無縁のすべての精霊の為に精霊棚(餓鬼棚)をつくり、蓮の葉の上に水滴をたらした閼伽(あか)水、団子、キュウリやナスで作った馬や牛を供え、先祖の精霊を迎えました。
 夏の暑い日に、お供物で飾った盆棚に、ともしび(迎え火、送り火)をつけ、おじいさんやおばあさんがいるんですよと、家族が集まり、自分の先祖のことなどを想い出し、こどもたちに、「ご先祖さまがいるんですよ」とだんだんと肌で感じさせたのです。
 そんなお盆も遠い昔のことですが、特に今年は、コロナ禍の中で、新しい生活スタイルがはじまりました。家族葬が進み、孤独葬とか個人葬でも言うのでしょうか、数名の葬式や法要となり激変しました。新型コロナウイルス感染防止のため、当寺も春彼岸会は住職と副住職のみで法要を勤めました。盆施餓鬼会は、檀信徒を地域別に時間を決め、本堂は全開し、四ヶ寺の随喜寺院をおことわりして、本堂内は三密を考慮し、少人数の随喜で法要を勤めました。新型コロナウイルス感染の終息が見られるまでは、今後の行事、法要、内容、日時については、当分の間、変更、中止等の可能性があるので、檀信徒の皆さんはその都度、行事、法要の案内状を確認して下さい。
 また他寺院によって、コロナ感染防止の対策が様々です、ある寺では、今までと変わりなく法要を行うところ、また別な寺では施餓鬼会は、総代役員のみで行うところ、また別な寺では、棚経参りも寺の施餓鬼会も全て中止し、またある寺では、本堂でお盆の三日間、朝夕住職のみでお勤めをし、檀家の皆様は、その時間にお仏壇でお参りをして頂くところ、お布施は総代役員さんが集金されたお寺さんなどほんとにさまざまです。
話しは変わりますが、新型コロナの影響だと思われるが、長年、愛読した大法輪が先月号で休刊となる。私住職にとっては、特定の宗派だけではなく、他宗派や他宗教の教えや仏教者、仏教学者、哲学者、文学者、芸術家等々の特集や連載を読ませて頂きました。この大法輪は、自分の考え方だけではなく、「他者を知り学ぶこと」を教えて頂いたような気がします。編集に関わられた方やご執筆者の皆様には、読者の一人として、あらためて感謝申し上げます。せつに再刊を願っております。ありがとうございました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お寺あれこれ 86

歴代の古五条袈裟・古七条袈裟の使い道「軸装の裂地に使用」

先代の衣や袈裟で使い古したものは処分したが、昔の七條だけは捨てきれず、裏生地を直し大切に保管してきた。保存するだけでも修理が必要です。調べると明治期の法衣帳にすでに記載がある。白茶地金襴七條袈裟、紺紋博多五条袈裟、白茶地菊御紋散袈裟、白塩瀬金蓮花散七條袈裟、蜀紅錦七條袈裟などあるものないものもある、どの袈裟がどれなのかわからない。なんとか使えないものか、着てみたが、すべて小さく柄が現代には地味である。以前本山の御忌随喜に着てみたが、私だけが浮いた感じであった、当時の織物職人の心意気がわかり、私的には好みである。コロナ自粛中に物置を整理していると、虫に喰われた軸があり、以前処分するか悩んだものである。この軸をさらに調べると、当寺に由来ものであることが分かり、私が住職引退までに表装修復しなければという気持ちになる。いい機会であるので、表具さんに持ち込み、この古袈裟(七條)を裂に使っていただくことになった。江戸末期から明治期の歴代住職が使かわれたものであり、七條袈裟(織物、刺繍)自体も現代の機械で織ったものではなく、織物職人が時間をかけ織られたものある、私の好みの軸装に仕上がってほしいものである。しかし、それが本紙に調和するかはわからない。本職の職人さんでも優れた色彩感覚をお持ちでないといいものができない。
本来袈裟は、人々から古着を頂き繋ぎ合わせてつくられたものです。昔の麻壊色の如法衣(糞掃衣を思わせる)もいいが、儀式用に作られた金襴もきらびやかでいいものである。寺什物として、何かに利用して今後も残していきたいものです。

お寺あれこれ 85

寺での自粛生活 2 野菜作り 
 今年も孫と夏野菜を色々と作っています。楽しみながら収穫をします。