お寺あれこれ 65

秋 今日この頃
この月の初めには、組内寺院で五重相伝が行われました。五重相伝は檀信徒の皆様が浄土宗の教えを学び念仏信仰に入って頂く為の大切な道場です。私たち組内寺院の住職も受者(檀信徒)の皆様と共に念仏を称え、お勤め、勧誡(念仏の教えを順序を正して組織的に説く法話を聴聞)、回向、礼拝等の前行(四日間)と最終日に正伝法(入道場)があり、朝9時から夕方5時まで五日間随喜・お手伝いをさせて頂きました。当山からも2名の檀家さんがご参加されて、日頃自分ではなかなか念仏も称えられないが、同行であれば念仏も称えられたし、勧誡師による法話や最後の正伝法では、念仏の要点を聴聞できたことが何より感銘されたそうです。私も勧めてよかったです。住職として自信がなければなかなか五重相伝や授戒はできません。私は三巻書、授菩薩戒儀、選択集、観経疏、浄土三部経等々ろくに目を通したこともなければ、それらを理解することもできず、本棚に埃をかぶっだままである。一昨年の冬安居を受講した際に、講師の先生から頂いた著書に「檀家の方で3年間かけ選択本願念仏集をその先生の講義を受けながら読まれた」ことが載っていたのか、先生がお話になったのか、忘れましたが私の心に印象強く今も心に残っています。やる気さえあれば、私でも今から勉強できるのではと思うのですが、現実はなかなかそうはいきません。あと何年生きられるのか、元気な内に勉強ができればいいのですが、こんなことを思いながら法事や掃除や日常の寺務をしています。亀岡祭の25日には東京から田舎の小さな寺に女性の方が5名参拝に来られました。有難い事です。27日は当山で亀岡組浄青主催の研修会「五重相伝を学ぶ、要偈道場」がありました。この月末は病院に通い、31日は法事でした。ご夫婦とお若いご子息2名も来られたことがなにより、亡くなられたお爺さんお婆さんの供養になったのでは、と思います。午後からはお借りしている畑の草刈りでした。盆以降掃除をしてなかったので、草が伸びほうだいでご迷惑かけました。
今年もあと二ヶ月です。「今日一日は小さな一生である。」また「一日のたしなみが一生のたしなみ、一日たしなみてそのまま終われば、一生のたしなみになる。」村田念仏(真宗高田派)と説かれた。たしたみとは念仏相続のこと、この言葉が忘れられても念仏を怠らなければいいことだ。今の私にはこの言葉が心にしみるのです。