お寺あれこれ 78

今年もいつのまにか師走となる。午前中は参道の落ち葉を掃き、花壇の草引きをすると時間が経つのは早いもので昼になる。午後からパソコンで寺の資料を作り夕方になる。夜も引き続いて資料作りで今日も一日が過ぎてしまう。早いもので退職をしてから7年が経ち還暦が遠く過ぎ去り古稀が近づいてくる、昔の60代半ばというとおじいさんの仲間入りです。しかし現代では、まだまだ仕事をして生きがいを持ち働かないと生きていけない時代である。幸い私は小寺の住職であり、境内と堂内と動き回ることが多く、健康的にはいいのかもしれません。私も70歳を一つの目途にしていますが、健康を維持し次の代にまかせたいものです。年末の大掃除は今月21日です、檀信徒の皆様のご協力をお願い致します。

 

 

お寺あれこれ 77

先日、京都アンティークフェアにいってきました。骨董市の出店で、多くの人たちが来られる、国際色豊かで、その中に外国からの人たちも多く来られていました。やはり目を引くのは、仏教美術品や仏像である。どこから探して来られるのか、昔は信仰仏として、人々から手をあわせられたものである。廃寺となり、流れたものかわからないが、それが美術品となり売られ買われている。理由はどうあれ、私も仏像や仏画を探し求めている自分に罪悪感を感じながら夢中になっている。書棚に文福茶釜という本があり、それを読むと、まさに今の自分の姿を見ているようです。欲の塊で騙し騙され、私のような単純なものは手に負えない世界です。
しかし、会場はにぎやかで楽しい雰囲気でお祭りに来てるようである、欲しいものを探してもらうのですが、のめり込むとこわいものです。庭も同じで凝りすぎると身を滅ぼします。自分の趣味やすきなものは、ほどほどに楽しみたいものです。今日は孫二人と西山に登る、展望台からの眺望は素晴らしく、今までにないほど山々がよく見える、少し下ったところにベンチがあり、おにぎりを食べ楽しいひと時でした。

お寺あれこれ 76

告別式の話し  
松の剪定をしていると、どこからとなくいい香りが漂ってくる、その先に橙色の小さな花が咲いていました。夏前に枝を強剪定したキンモクセイが樹木全体に咲き、いい香りを放って心和ませています。
 ところで、以前から気になっていることがある。告別式という言葉である。一般的には葬式と同じ意味に使われている。私の経験上大きな葬式になると、前半の一座を告別式とし、後半の一座を葬儀式として執り行われることがあります。
私たち仏教徒は、仏さまのお国へ還って頂くこと、浄土宗であれば極楽浄土へ往生を願う儀礼儀式が葬式として執り行われています。当然告別式ではなく葬儀式という言葉でなければなりません。
 告別式を日本語大辞典で調べると、「①転職、退官、退職などの別れの儀式、送別式。②親族、知人などの縁故者が集まって、死者に別れを告げ、、冥福を祈る儀式。葬式とある。」と二つの意味があり、特に告別と葬儀の意味が分けられていない。
 逆に葬儀を調べると「葬儀は死者を葬る儀式。葬儀。また葬式は、死者を葬るための儀式。民族・習慣・宗教・宗派などにより異なり、地域差も大きい、葬儀、葬礼、葬送、弔い。」とある。しかし、葬式を執り行うことは、「葬・ほうむる」は遺体の処理と「喪」死者との別れでという意味も含まれている。告別式は書かれていない。古い辞書辞典を調べることはできないが、特に平成になって葬儀の案内板や告示版に葬儀式ではなく告別式という言葉がよく使われています。
 本来は、告別式という言葉は、転任、退官、退職する人に別れを告げる為の儀式である。就任式と反対の言葉です。死者に対して使う言葉でなかった。古い浄土宗大辞典には告別式という言葉すらありません。しかし新編纂の浄土宗辞典には、「故人、知人や友人などが故人に対して最後の別れを告げるための式典。葬儀式が一般的に宗教者を呼んで何かしらの宗教的な儀礼を行うことに対して、告別式は特に宗教的である必要はない。また生前の故人の意思や喪主の判断によって告別式をしない場合もある。 日本で最初に行われた告別式は、明治43年(1910)に思想家の中江兆民が死去した際である。このとき中江の生前の意思によって、僧侶が関わる宗教儀式部分のかわりに弔辞や演説などの無宗教の式典が執行された。告別式が全国的に広まったのは戦後の高度経済成長期で、告別式を含む葬儀全体を遺族のものではなく自分自身の最終表現とする考え方は、現在ではさらに広がっている。」と記載されている。
 さらに別資料を調べると、昭和60年頃と思うが、NHKテレビで「お葬式」という特集を放送した中で、中江兆民の諸事情と告別式の由来について、「無宗教で執行された葬儀を告別式と言う・・」と定義し、再度の確認をしていました。
本来葬式と告別式は、それぞれ別に行われていたが、昨今、経済性、効率性、また意味も問うことなく葬式の告別式化が進んでいます。
 家から個人、組織の弱体化、人との付き合いが煩わしい、寺との関係性(葬式と法事だけの付き合い)、僧侶に対する不信等々時代の流れの中で葬式も大きく変化しています。人を喪うという悲しみや手を合わせる姿は、今も昔も変わらないと思いますが。今一度私たち仏教(浄土宗)としての葬式の意味を考えたいものです。

「葬式に関する認識」として(1996)東京都生活文化局の調査
 イ.故人とのお別れをする慣習的なものー60%
 ロ.冥福を祈る宗教的なもの―32.4%
 ハ.遺族のために行う儀式ー6%
「自分の葬式について」読売新聞の分析(2001)
 1.身近な人だけの、形式にとらわれない葬式 66%
  2.世間並みの葬式をしてほしい 32%(3年前より5%減少)
                       (2014.5大法輪)
               
 

お寺あれこれ 75

秋雨前線

雨が降ると、境内の庭、墓地に雑草がところかまわず生える、いつのまにか盆も過ぎ、雨の合間を見て朝夕陽が当たらない時間に、住職、寺庭も草引きの毎日です。ほっと一息つきたいのであるが、雑草が伸びてくると、どうしても気になります。まだまだ残暑厳しい日が続きますから、外での作業も勇気がいります。
 近くのお寺さんであるが、いつお伺いしても掃除が行き届いている。ご住職はお忙しい方です、いつ掃除をされているのか、不思議です。また山麓の寺であるが、そのお寺さんも広い境内ですが、ご住職がすべて草を刈り掃除をされている。行事や法要の時は草一本も生えていない。平素は働きに出ておられる。土日は法事や用事があり、いつ掃除をされているのか。
 亀山城の城跡は、今は大本教本部の施設があり、施設や境内は大本教が管理をされている、専属に掃除係の職員さんが何人かおられるが、ときどき植物園にお伺いするが、どこも掃除が行き届き綺麗てある。時々は事務職員の方々も掃除をされているようである。もう何年も前のことであるが、島根の足立美術館へいったとき、お伺いすると、そこの職員や学芸員や受付の皆さん全員で掃除をされているそうである。 今ではなかなかできないことです、大きな職場や会社になると、自分の職務以外掃除などはされない、どこもビルメンテナンス会社等業者に任されています。昔から寺では、一に掃除、二に勤行、三に学問、と言いますが、私にはどれもできませんが、平素から掃除だけはこころがけたいものです。

 

 

お寺あれこれ 74

お盆を迎え
昨日(7月31日)は、愛宕神社の千日詣り、多くの人々が参拝される日です。京都の各家庭の台所にはこの愛宕神社「火迺要慎」のお札が壁にはられます。
盆前のこの時期は、一ヶ月ほど前から境内と墓地の除草と庭木の剪定に追われる日が続きますが、日中は日差しが強く朝早くか夕方に、日陰を探しながら草引きをしています。私が子供の頃には、お盆前になると、必ず先代が麦わら帽子をかぶり、白いカッターシャツを掃除用に下ろし竹藪に囲まれた墓地の草引きや落ち葉を集め、境内の空き地で集めた落ち葉を焼いていたのを想い出します。その当時の先代の歳を過ぎ、今の自分に重ねて、先代やまた祖母や姉弟のことを色々と想い出されます。お盆ですね。
庭の剪定ですが、ここ数年は大きな庭木と台杉は造園業者の職人さんにしていただきますが、昼間は外気温が43度という炎天下最中きつい仕事です。くれぐれも体には気を付けて頂きたいと心配しております。一昨日選定作業も無事終わり、ほっとしています。有難うございました。庭の樹木も涼しげですが、あとは盆施餓鬼会までに、庭木のあしもとの掃除です。
今日の午前中は棚経に使うバイクのバッテリー交換をし、夕方は墓の掃除をしました。明日からは遠方のお檀家さんの棚経参り、5日、6日、7日は他寺の施餓鬼会の随喜(手伝い)です。その後盆が終るまでは棚経と他寺施餓鬼会の随喜です。棚経では、檀信徒の各家の仏壇と精霊棚にお参りして、其々お顔を拝見するのも楽しみです。

● 精霊棚 奥なつかしや 親の顔

● 在りし日の 背を洗うごと 墓洗う

● 盆はうれしや 別れた人が はれてこの世に 会いに来る

 

 

 

 

お寺あれこれ 73

寺での一日
庭の台杉が弱っているので、葉が枯れたところは切り落としましたが、何かの原因で枯れるのでしょう、自然にまかせるしかないようです。
今日は中陰のお参りでしたが、当山の本堂庫裡再建の時には、お元気だった頃を思い出しましたが、時とともに、当山を支えて下さった檀信檀信徒の皆様がお亡くなりになられる。住職としてもなんとも寂しいものです。唯々お浄土での再会を祈り、ご家族とともにお念仏を称え、ご回向をさせて頂きました。残されたご主人には一日も早くお元気になっていただきたいものです。
 私も還暦が過ぎ、また一年古稀に近づきました。腰痛があり身体に自信はないが、先週は本山での夏安居道場(教学高等講習会)に参加しました。昔の知人に会い、ご挨拶をさせて頂きお元気な顔を拝見するのが楽しみです。しかし、講義を聴講していつも思うことが、若い頃にもっと勉強しておけば、とこの歳になっても悔いてます。
 やっと関西も梅雨に入ったようですが、庭には紫陽花が咲き終わり、桔梗が咲きはじめました。この桔梗は、数年前に近くのご老僧から頂いたものです。昨年お亡くなりになられましたが、今年も忘れず花を咲かせています。ご老僧もお浄土から、この桔梗を見ていらっしゃることでしょう。
 裏の畑には、きゅうりやなすびやししとが取れ頃です。もう少し暖かくなると、ゴウヤと西瓜とカボチャが取れます。。妻も私も朝取るのが楽しみです。



 
 
 

お寺あれこれ 72

今年も夏野菜を育てる。夕方の水やり、キュウリとゴウヤはネットを伝い伸び始める。暑さ除けのカーテンです。ナス、インゲン豆、西瓜、カボチャ等、サツマイモは孫と芋ほりが楽しみです。




お寺あれこれ 71

平成に感謝し令和を迎える。「御十念」のこころ

知人のご住職が亡くなられた。突然の訃報に驚きと深い悲しみである。その方とは、祖山知恩院で大変お世話になった思い出があり、何とも言えない寂しい心境である。しかしこの年になるといつ死んでもおかしくない話しです。心の準備というか、自分自身の葬儀と準備(心構え)はしているつもりでも、いざ身内や身近な友が亡くなることは、まことに寂しいものです。しかしおそかれ、はやかれお浄土でお会いできる。またあれこれと話し美味しい酒を飲みかわしたいものです。
寺の住職がご遷化され弔問に行くと、通夜や本葬で「御十念」料を頂くが、これは弔問会葬に対するお礼ではなく、後日自坊(各寺)で回向をしてもらためのものである。しかし最近能化(住職)の葬儀では戒名紙がないところがある。朝のお勤めで回向ができない。後日寺に帰り回向をしますので、遷化された住職の戒名は必ず必要である。能化(住職)の葬儀は、経験のない弟子に、今日伝え明日でるものではない。普段から住職として伝えるべきことは伝え、準備するものは予め準備が必要です。もちろん法類や組内寺院の協力がなければできないものです。書棚には寺葬の資料があるが、遺弟(弟子)には、場を踏む経験が必要である。要は学ぶ気にならなければ、何の役にも立たない。
ところで、今日から元号が令和となる。「れいわ」という言葉も耳に優しく聞こえがよい、また「れいわ」の漢字も見慣れてきた。前天皇は平成という時代を、天皇として30年間勤めを終えられ、私たち国民に「深い信頼と敬愛を以て行い得たことは幸せでした。」と感謝を述べられた。誠に有難い事です。いつまでもお元気にお過ごし頂きたいものです。令和を歩まれる新天皇陛下は「国民に寄り添い、人々と共に喜び、あるいは共に悲しみながら、象徴としての務めを果たしたい」と語られた。令和は万葉集から、引用ということですが、むずかしいことはわからないが、平成に引き続き戦争がない平和な時代を願いたい、過去や伝統も大切であるが、新天皇は山登りが趣味と聞いていますが、多忙な公務は減らされて、ご自分の趣味も人生もご家族と共に楽しんで頂きたいものです。天皇陛下のご即位を心よりお祝い申し上げます。



お寺あれこれ 70

亀岡船桑組浄土宗青年会主催で工藤美和子先生の「お念仏からはじまる幸せ」と題して3月30日に当山にて講演がありました。先生は華頂短期大学で特に仏教を学生に教えられています。ご自分も学生の時に、他の大学から仏教大学大学院に入られて、寺育ちではなく、志があり浄土宗僧侶になられたそうです。歯に衣着せぬ口調で法然上人の念仏の教え「阿弥陀仏の本願」からご自分の念仏人生についての幸せ感をお話しいただきました。

お寺あれこれ 69

知恩院にて仏前結婚式
最近は、宗教色がなく結婚式も駅の広場や山や海での個性豊かな形で執り行われています。先日急な事でしたが、二男が結婚式を総本山知恩院で挙げました。式場は阿弥陀堂の阿弥陀さまみ前に於いて、御誡師のもと厳粛に進められ、新郎新婦が誓いの言葉を読み上げ、無事終わりました。新郎のみ緊張気味でした。最近は浄土宗檀信徒だけではなく、一般の皆様も和服(紋付き袴)や洋服(ドレス)で、挙式をされています。知恩院での仏前結婚もお勧めです。